Bout Wiki
Advertisement
ヘンゾ・グレイシー
本名 ヘンゾ・グレイシー
性別 男性
国籍 ブラジル
アメリカ合衆国
誕生日 1967年3月11日(57歳)
出身地 リオデジャネイロ州
身長 178cm
体重 77kg
リーチ
階級 ウェルター級
スタイル ブラジリアン柔術
所属 ヘンゾグレイシー柔術

ヘンゾ・グレイシーRenzo Gracie1967年3月11日 - )は、ブラジルブラジリアン柔術家、総合格闘家リオデジャネイロ州出身。アメリカ国籍を取得したブラジル系アメリカ人である。

ブラジリアン柔術創始者カーロス・グレイシーの次男カーロス・ボブソン・グレイシーの次男。兄弟には、三男ハウフ・グレイシーや四男ハイアン・グレイシーがいる。ヒクソン・グレイシーホイス・グレイシーの従兄弟と報道されることも多いが、実際には「ヒクソン等の従兄弟の子」である。

グレイシー一族の中でも最も早くから総合格闘技イベントが異種格闘戦という構図から、あらゆる要素を含んだ格闘技を生むということを見越して柔術だけでなくレスリングやボクシングを取り入れていった。

来歴[]

ブラジルからアメリカに渡り、同門グレイシーバッハのマチャド兄弟をたずねて南カリフォルニアにやってきたヘンゾは、米人初のブラジリアン柔術黒帯クレイグ・クククと知り合い、ニューヨーク・ニュージャージー地域にて共同の道場を立ち上げる。1995年10月、アメリカの新興MMAイベントWorld Combat Championshipの8人トーナメントを制した。

1997年10月11日、PRIDE.1での小路晃戦で日本初登場、引き分けとなった。

1998年3月15日、PRIDE.2菊田早苗と対戦、約50分の死闘の末フロントチョークで一本勝ち。

1998年3月、初開催されたアブダビコンバットの77kg未満級において優勝を果たした。

1999年2月、アブダビコンバットの88kg未満級に出場するも、2回戦でイーゲン井上に判定負け。

2000年2月26日、リングスKOK決勝トーナメントの準々決勝で田村潔司と対戦し、判定負け。

2000年3月、第3回アブダビコンバットの77kg未満級で2回目の優勝。

2000年8月27日、PRIDE.10桜庭和志と対戦、チキンウィングアームロックを極められ肘を脱臼しレフェリーストップ負け。ホイス・グレイシーのリベンジマッチとして臨んだ試合であったが、返り討ちにあった。

2000年12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2000アントニオ猪木とエキシビションマッチを行ない、猪木のダブルアーム・スープレックスやコブラツイストを受けた。

2005年5月、アブダビコンバット77kg未満級の1回戦でパブロ・ポポビッチに判定負け。

2005年7月29日、K-1 WORLD GP in HAWAIIでBJペンと総合格闘技ルールのスーパーファイトで戦い、判定負け。

2006年にはシニアリーグ的なスペシャルマッチをIFLで行ない、パット・ミレティッチカーロス・ニュートンに連勝。

2007年2月10日、新興団体EliteXCフランク・シャムロックと対戦。終始試合をコントロールしていたが、グラウンド状態での膝蹴りを受け、反則勝ち。

2010年4月10日、UFCデビュー戦となるアブダビ開催のUFC 112で約3年振りに総合格闘技へ復帰しマット・ヒューズと対戦するも、3R終了間際にパンチのコンビネーションでTKO負けを喫した[1]

戦績[]

総合格闘技 戦績
22 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
13 2 7 3 1 1 1
7 2 1 4 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× マット・ヒューズ 3R 4:40 TKO(右ストレート) UFC 112: Invincible 2010年4月10日
フランク・シャムロック 2R 2:00 反則 EliteXC: Destiny 2007年2月10日
カーロス・ニュートン 4分3R終了 判定2-1 IFL - Championship Final 2006年12月29日
パット・ミレティッチ 1R 3:37 ギロチンチョーク IFL - Gracie vs. Miletich 2006年9月23日
× BJペン 5分3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII
【スーパーファイト 総合格闘技ルール】
2005年7月29日
× カーロス・ニュートン 2R終了 判定1-2 PRIDE 武士道 2003年10月5日
× 大山峻護 3R終了 判定0-3 PRIDE.21 2002年6月23日
小原道由 3R終了 判定3-0 PRIDE.17 2001年11月3日
× ダン・ヘンダーソン 1R 1:40 KO(スタンドでのパンチ) PRIDE.13 2001年3月25日
× 桜庭和志 2R 9:43 TKO(チキンウィングアームロック) PRIDE.10 2000年8月27日
× 田村潔司 5分2R終了 判定0-3 リングス KING OF KINGS 決勝
【準々決勝】
2000年2月26日
モーリス・スミス 1R 0:50 アームロック リングス KING OF KINGS 予選Bブロック
【2回戦】
1999年12月22日
坂田亘 1R 1:25 腕ひしぎ十字固め リングス KING OF KINGS 予選Bブロック
【1回戦】
1999年12月22日
アレクサンダー大塚 2R終了 判定5-0 PRIDE.8 1999年11月21日
菊田早苗 6R 0:43 フロントチョーク PRIDE.2 1998年3月15日
小路晃 3R終了 引き分け PRIDE.1 1997年10月11日
エウジーニョ・タデウ 1R 14:45 ノーコンテスト(暴動) Pentagon Combat 1997年9月27日
オレッグ・タクタロフ 1R 1:02 KO MARS 1996年11月22日
ジェームズ・ワーリング 1R 2:47 チョーク World Combat Championship 1: First Strike
【決勝】
1995年10月17日
フィル・ベネディクト 1R 2:08 ギブアップ(打撃) World Combat Championship 1: First Strike
【準決勝】
1995年10月17日
ベン・スパイカーズ 1R 2:38 チョーク World Combat Championship 1: First Strike
【1回戦】
1995年10月17日
Luiz Augusto Alvareda 1R 7:03 チョークスリーパー Desafio - Gracie Vale Tudo 1992年1月1日

人物[]

  • 好人物で知られるが、昔はハイアンを超えるワルであったと、ハイアンもヘンゾ本人も認めている。たとえばブラジルにヘンゾビーチと呼ばれるビーチがあり、部外者が勝手に入ると暴行を受けたと言う逸話がある(ちなみに公共のビーチである)。
  • PRIDEでのアレクサンダー大塚戦では、試合前の減量(体重制限有の契約)に苦しんだ大塚に「試合後にチョコレートをプレゼントしてあげるよ」とコメント。勝利した後の大塚の控え室には、約束通りにチョコレートが差し入れされた。これに対して、大塚もお礼を言いにヘンゾの控え室を訪れている。
  • 普段は紳士的にふるまうヘンゾだが、大山峻護との試合中に激昂、相手に唾をはきかけ怒りを露にした。後にインターネットで質疑応答した際に、「あれは大山が自分で膠着しておいてレフェリーにオレのせいだとアピールしたことに腹をたてたからからだ」と発言している。
  • World Combat Championshipにてオリンピック柔道銅メダリストのベン・スパイカーズと対戦。試合前に「あいつの眼を見ると昔のガールフレンドを思い出す」といわれたヘンゾは試合に勝った後、相手の後頭部を踏みつけ「どちらが男らしいんだ?」と言い放った。4年後、リングスKOKトーナメントにてモーリス・スミスが前哨戦の舌戦で「おチビちゃん」と挑発したときには「オレはゲイみたいといわれてももう怒らない。事実じゃないからさ。でも小さいのは本当だから許せない」と笑顔で語った。そして試合に勝った後は自分からスミスを抱きかかえて健闘をたたえた。

獲得タイトル[]

  • WCC1 優勝(1995年)
  • ブラジレイロ・マミルシ黒帯ペナ級 優勝(1993年)
  • 第1回 アブダビコンバット 77kg未満級 優勝(1998年)
  • 第3回 アブダビコンバット 77kg未満級 優勝(2000年)

脚注[]

外部リンク[]

Wikipedia[]

Smallwikipedialogo.png このページには、クリエイティブ・コモンズでライセンスされたウィキペディアの記事が使用され、それをもとに編集がなされています。
使用された記事はヘンゾ・グレイシーにあり、その著作権者のリストはページの履歴に記録されています。
Advertisement