マーク・コールマン | |
---|---|
本名 | マーク・ダニエル・コールマン (Mark Daniel Coleman)[1] |
通称 | ザ・ハンマー(The Hammer) アルティメット・ハンマー 赤鬼 |
性別 | 男性 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1964年12月20日(59歳) |
出身地 | オハイオ州コロンバス |
身長 | 185cm |
体重 | 108kg |
リーチ | |
階級 | ヘビー級、ライトヘビー級 |
スタイル | レスリング |
所属 | ハンマーハウス |
テーマ曲 | WILD HAMMER |
マーク・コールマン(Mark Coleman、1964年12月20日 - )は、アメリカ合衆国の総合格闘家、プロレスラー。オハイオ州コロンバス出身。ハンマーハウス主宰。初代UFC世界ヘビー級王者。PRIDE GP 2000王者。
ドン・フライ、マーク・ケアーらと並んで、レスラーの総合格闘技に於ける可能性を開拓した人物と称される。また興奮すると体が赤くなりやすい体質から、「赤鬼」と呼ばれることもある。
来歴[]
1991年レスリング世界選手権フリースタイル100kg級2位、1992年バルセロナオリンピックレスリング・フリースタイル7位と、レスリングにおいて卓越した競技実績を残す(後に、オハイオ州にレスリングの実績を認められ殿堂入りを果たす)。
UFC[]
レスリングだけでは生活が苦しかったコールマンはUFCに参戦。プロ転向を決意させるきっかけとなったのは、アメリカのケーブルテレビでたまたま放送していたUWFインターナショナルの高田延彦の試合を目にしたからと言われる。その番組で高田延彦と戦っていたのはコールマンと同じレスリング出身者のゲーリー・オブライトであった。
ろくに総合格闘技の練習をしないまま、コールマンはレスリングのバックボーンを活かしたタックル、頭突き、パウンドという後にレスラーの基本戦法となる戦い方を確立し、当時UFCを席巻していたブラジリアン柔術家達を、パワーでねじ伏せていった。その勢いでUFC 10、UFC 11のトーナメントで優勝(UFC 11のトーナメント決勝は不戦勝)。1997年2月7日のUFC 12ではダン・スバーンとの王者決定戦を制し、初代UFC世界ヘビー級王者となった。
しかし打撃系の格闘家に弱く、またスタミナにも難があり、モーリス・スミスやペドロ・ヒーゾに大差の判定負けを喫するなどして戦績が振るわなくなり、UFCから撤退する。
PRIDE[]
その後PRIDEに参戦し、高田延彦と疑惑の一戦(後に八百長であったことを認める発言をした)を繰り広げた後、PRIDE GP 2000にエントリー。持ち味を生かしたタックル→押し込みというファイトスタイルで優勝する。決勝のイゴール・ボブチャンチン戦で勝利した瞬間、興奮してトップロープに登ろうとして足を滑らせ転んだり、そのままリングから駆け下りて花道近くのファンと喜び合ったりと、大きな体格といかつい顔に似合わぬはじけっぷりであった。
2001年3月25日、PRIDE.13のアラン・ゴエス戦では四点ポジションからの膝蹴りで勝利したが、失神した後意識を取り戻したゴエスが、試合が終わったと知らずにコールマンの足に掴みかかるというハプニングが起こった。
2001年9月24日、PRIDE.16でリングス KOK 2001王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの挑戦を受け対戦するも、ノゲイラの打撃の前に終始圧倒され、最後は腕ひしぎ三角固めで敗北。その後首の負傷で長期戦線離脱を余儀なくされる。
2003年6月8日、事実上の復帰戦となったPRIDE.26では、因縁の対決と呼ばれたドン・フライ戦を行う。しかし首が完治していない中での試合で、勝ちはしたものの思ったようなパフォーマンスが出来ず、双方とも消化不良の試合となった。さらに家族との離婚調停が進み、愛娘2人と別れるという辛い現実もコールマンを襲った。
その後、躊躇していた首の手術を決行し成功。2004年4月25日、PRIDE GP 2004に参戦し、1回戦でヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルと「新旧王者対決」として対戦する。ヒョードルを2度にわたってテイクダウンし、一時はバックからスリーパーを狙うという好機も作るが、最後は下からの腕ひしぎ十字固めで敗北する。
2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004で、弟分的存在であるケビン・ランデルマンがミルコ・クロコップにリベンジされると、弟の仇討ちと称し2005年2月20日のPRIDE.29で対戦。再三にわたり強烈なタックルを敢行するも全て切られてしまい、最後は強烈なパンチでKO負けを喫した。しかしそのリング上で、「I won't quit(オレはやめねえぞ)」と叫び続けるコールマンには温かい拍手が送られた。
2006年2月26日、PRIDE.31でミドル級最強と言われているマウリシオ・ショーグンと対戦。コールマンのタックルで、ショーグンが右肘を脱臼。レフェリーストップによるTKOで破り、コールマン復権のきっかけをつかんだ。10月21日、母国アメリカで開催されたPRIDE.32ではエメリヤーエンコ・ヒョードルと再戦するも、再び腕ひしぎ十字固めで敗北を喫した。
UFC復帰[]
2008年3月1日、UFC 82でオクタゴンに登場し、史上5人目のUFCホール・オブ・フェイム(殿堂入り)を受賞。改めて現役続行を宣言するとともに、UFCへの復帰を表明した。
2008年8月9日、UFC 87でブロック・レスナーと対戦予定であったが、膝の負傷により欠場となった[2][3]。
2009年1月17日、UFC 93で2年3か月ぶり(UFC参戦は10年ぶり)となる復帰戦を行う。マウリシオ・ショーグンと対戦し、右アッパーでTKO負けを喫したものの[4]ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。続いて参戦したUFC 100ではステファン・ボナーに判定勝ちし、UFC 12以来約12年半振りとなるUFCでの白星を挙げた[5]。
2010年2月6日、UFC 109のメインイベントでランディ・クートゥアと対戦。UFC殿堂入り選手同士の対戦となったが、チョークスリーパーで一本負けを喫した[6]。
プロレス[]
総合格闘技と並行して、ZERO-ONEやハッスルのリングにおいてプロレスの試合も行っている。ハッスルでは酒好きのキャラクターを演じ、「マーク・アルコールマン」というあだ名がつけられた。
人物[]
- 40歳を越えた現在でも、格闘家最強を目指し挑戦を続けており、「俺が格闘家を辞めるのは、体がまったく動かなくなった時か、リング上で死んだ時だ」と生涯格闘家宣言を表明している。
- PRIDEでは同じくハンマーハウス所属で弟子でもあるケビン・ランデルマン、フィル・バローニと共に「筋肉三兄弟」というニックネームを付けられていた。コールマンは長男。
戦績[]
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
26 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
16 勝 | 4 | 8 | 4 | 0 | 0 | 0 |
10 敗 | 3 | 5 | 2 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ランディ・クートゥア | 2R 1:09 チョークスリーパー | UFC 109: Relentless | 2010年2月6日 |
○ | ステファン・ボナー | 5分3R終了 判定3-0 | UFC 100 | 2009年7月11日 |
× | マウリシオ・ショーグン | 3R 4:36 TKO(右アッパー) | UFC 93: Franklin vs. Henderson | 2009年1月17日 |
× | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 2R 1:15 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.32 "THE REAL DEAL" | 2006年10月21日 |
○ | マウリシオ・ショーグン | 1R 0:49 TKO(肘の脱臼) | PRIDE.31 Dreamers | 2006年2月26日 |
○ | ミルコ・ヴーン | 1R 0:56 肩固め | BUSHIDO Europe - ROTTERDAM RUMBLE | 2005年10月9日 |
× | ミルコ・クロコップ | 1R 3:40 KO(パンチ) | PRIDE.29 SURVIVAL | 2005年2月20日 |
× | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 1R 2:11 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦 | 2004年4月25日 |
○ | ドン・フライ | 3R終了 判定3-0 | PRIDE.26 REBORN | 2003年6月8日 |
× | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 1R 6:10 腕ひしぎ三角固め | PRIDE.16 | 2001年9月24日 |
○ | アラン・ゴエス | 1R 1:19 TKO(グラウンドでの膝蹴り) | PRIDE.13 | 2001年3月25日 |
○ | イゴール・ボブチャンチン | 延長R 3:09 ギブアップ(グラウンドでの膝蹴り) | PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 【決勝】 |
2000年5月1日 |
○ | 藤田和之 | 1R 0:02 TKO(タオル投入) | PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 【準決勝】 |
2000年5月1日 |
○ | 小路晃 | 15分1R終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 【準々決勝】 |
2000年5月1日 |
○ | 佐竹雅昭 | 1R 1:14 ネッククランク | PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦 【1回戦】 |
2000年1月30日 |
○ | ヒカルド・モラエス | 2R終了 判定4-0 | PRIDE.8 | 1999年10月21日 |
× | 高田延彦 | 2R 1:44 ヒールホールド | PRIDE.5 | 1999年4月29日 |
× | ペドロ・ヒーゾ | 15分1R終了 判定1-2 | UFC 18: Road to the Heavyweight Title | 1999年1月8日 |
× | ピート・ウィリアムス | 1R 12:38 KO(ハイキック) | UFC 17: Redemption | 1998年5月15日 |
× | モーリス・スミス | 1R終了 判定0-3 | UFC 14: Showdown 【UFC世界ヘビー級タイトルマッチ】 |
1997年7月27日 |
○ | ダン・スバーン | 1R 2:57 ネッククランク | UFC 12: Judgement Day 【UFC世界ヘビー級王者決定戦】 |
1997年2月7日 |
○ | ブライアン・ジョンストン | 1R 2:20 ギブアップ(打撃) | UFC 11: The Proving Ground 【準決勝】 |
1996年9月20日 |
○ | ジュリアン・サンチェス | 1R 0:45 チョークスリーパー | UFC 11: The Proving Ground 【1回戦】 |
1996年9月20日 |
○ | ドン・フライ | 1R 11:34 TKO(打撃) | UFC 10: The Tournament 【決勝】 |
1996年7月12日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 7:00 ギブアップ(疲労) | UFC 10: The Tournament 【準決勝】 |
1996年7月12日 |
○ | モティ・ホーレンスタイン | 1R 2:43 ギブアップ(パウンド) | UFC 10: The Tournament 【1回戦】 |
1996年7月12日 |
獲得タイトル[]
- 初代UFC世界ヘビー級王者(1997年)
- PRIDE GRANDPRIX 2000 優勝(2000年)
- UFC殿堂入り(2008年)
脚注[]
- ↑ UFC 109試合結果 ネバダ州アスレチック・コミッション
- ↑ 【UFC87】ウェルター級王座戦他、ケンフロ×フエルタ決定! MMAPLANET 2008年5月23日
- ↑ 【UFC87】“王朝”の鬼門ヘビー級、レスナーへの期待大 MMAPLANET 2008年8月8日
- ↑ 【UFC93】ショーグン&コールマンにかつての面影見られず MMAPLANET 2009年1月18日
- ↑ 【UFC100】“大ベテラン”コールマン、復活の勝利 MMAPLANET 2009年7月12日
- ↑ 【UFC109】“魂のオヤジ対決”クートゥアーが一本勝ち MMAPLANET 2010年2月7日
関連項目[]
外部リンク[]
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- ハッスル 選手データ
- SHERDOG 選手データ
- Wrestling Database 選手データ
初代 |
初代UFC世界ヘビー級王者 1997年2月7日 - 1997年7月27日 |
次王者 モーリス・スミス |
前優勝者 |
PRIDE GP 2000トーナメント優勝 2000年5月1日 |
次優勝者 ミルコ・クロコップ |
Wikipedia[]
このページには、クリエイティブ・コモンズでライセンスされたウィキペディアの記事が使用され、それをもとに編集がなされています。 使用された記事はマーク・コールマンにあり、その著作権者のリストはページの履歴に記録されています。 |