吉田 秀彦 | |
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本名 | 吉田 秀彦 |
通称 | 黄金の柔道王 不死鳥柔道王 |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1969年9月3日(55歳) |
出身地 | 愛知県大府市 |
身長 | 180cm |
体重 | 104kg |
リーチ | |
階級 | ヘビー級、ライトヘビー級 |
スタイル | 柔道 |
所属 | 吉田道場 |
テーマ曲 | The Secret 未来(HIDEKI) |
吉田 秀彦(よしだ ひでひこ、1969年9月3日 - )は、日本の柔道家、総合格闘家。愛知県大府市出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子78kg級金メダリスト。柔道六段。吉田道場師範。
来歴[]
柔道[]
1991年から1997年まで新日鉄に所属。1992年バルセロナオリンピック(-78kg級)で金メダルを獲得した。
1997年から2002年まで母校明治大学の柔道部の監督を務める傍ら、2000年にはシドニーオリンピック(-90kg級)に出場。3回戦でブラジルのカルロス・オノラトの投げを手をついて耐えた際に右肘関節脱臼の怪我を負い、敗退[1]。同時に敗者復活戦は不戦敗となった。
2002年、全日本柔道選手権への出場を最後に第一線から退き、自らの道場である吉田道場を設立、師範を務めている。また、同年、ゴールデンハート賞を受賞した。
総合格闘技[]
2002年8月28日、プロ格闘家デビューとなった「Dynamite!」のセミファイナルで、ホイス・グレイシーとレフェリーストップなしのジャケットマッチ特別ルールで対戦。吉田が袖車絞めの形に入った際に「(ホイスが)落ちた」とアピールし、レフェリーが試合をストップした。だが、ホイスはすぐに立ち上がり「タップしていない」と猛抗議し、レフェリーを突き飛ばすなど激昂。ホイス陣営は「レフェリーに試合を止める権利はないはずであり、ノーコンテストである」と抗議。結局、裁定が覆ることはなかった。
2002年11月24日、PRIDEデビューとなった「PRIDE.23」でドン・フライと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。
2002年12月31日、「INOKI BOM-BA-YE 2002」で佐竹雅昭の引退試合の相手を務め、フロントチョークで一本勝ちを収めた。
2003年8月10日、「PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦」で行なわれたミドル級GPの1回戦で田村潔司と対戦。田村の左フック、ローキックなどでダメージを受けながらも、最後は払い腰から袖車絞めで一本勝ち。田村のローキックで左膝にダメージを受け、試合後病院に直行した。
2003年11月9日、「PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦」で行なわれたミドル級GPの準決勝でヴァンダレイ・シウバと初対戦。打撃でも真っ向から攻め合い、グラウンドでは上になる場面もあったものの極めきれずタイムアップ、0-3の判定負けを喫した。
2003年12月31日、「PRIDE 男祭り 2003」でホイス・グレイシーと再戦。前回の対戦結果によりルールの徹底が図られた中で対戦であった。前回と違い道着の上を脱いできたホイスに防戦一方となり、道着を掴まれて動きを封じられなかなか有効な攻撃が出せないまま時間が過ぎ、10分2Rが終了。判定決着なしというルールにより引き分けとなったものの、試合後のインタビューでは意気消沈する吉田、「決着が着いた」と歓喜のホイス、と明暗が分かれた。
2005年4月23日、「PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦」で行なわれたミドル級GPの1回戦でヴァンダレイ・シウバと再戦し、1-2の判定負けを喫した。
2006年7月1日、「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND」の準々決勝でミルコ・クロコップと対戦し、キャリア初のTKO負けを喫した。
2006年12月31日、「PRIDE 男祭り 2006」ではジェームス・トンプソンと対戦。柔道着を脱いで試合に臨んだ吉田だったが、トンプソンの打撃ラッシュの前にKO負けを喫した。
2008年3月5日、戦極旗揚げ戦「戦極 ~第一陣~」でジョシュ・バーネットと対戦。3Rヒールホールドによりタップアウト負けを喫した。
2009年1月4日、「戦極の乱2009」で菊田早苗と対戦し、1-2の判定負けを喫した。
2009年12月31日、「Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~」で石井慧デビュー戦の相手を務め、3-0の判定勝ちを収めた。
2010年4月25日、「吉田秀彦引退興行 ~ASTRA~」にて愛弟子中村和裕を相手に引退試合を行ない、0-3の判定負けを喫した。
人物[]
- 格闘家生活と並行して、「VIVA JUDO!」というスポーツイベントを日本各地で開き、柔道の普及のために精力的に活動している。
- 世田谷学園高校の後輩に元SIAM SHADEの栄喜がおり、入場テーマ曲に栄喜の曲「The Secret」を使用している。
- 所属事務所はJ-ROCK。
戦績[]
総合格闘技[]
総合格闘技 戦績 | ||||||
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18 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
9 勝 | 0 | 8 | 1 | 0 | 1 | 0 |
8 敗 | 2 | 1 | 5 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 中村和裕 | 5分3R終了 判定0-3 | 吉田秀彦引退興行 ~ASTRA~ | 2010年4月25日 |
○ | 石井慧 | 5分3R終了 判定3-0 | Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~ | 2009年12月31日 |
× | 菊田早苗 | 5分3R終了 判定1-2 | 戦極の乱2009 | 2009年1月4日 |
○ | モーリス・スミス | 1R 2:43 袈裟固め | 戦極 ~第三陣~ | 2008年6月8日 |
× | ジョシュ・バーネット | 3R 3:23 ヒールホールド | 戦極 ~第一陣~ | 2008年3月5日 |
× | ジェームス・トンプソン | 1R 7:50 TKO(タオル投入) | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | 2006年12月31日 |
× | ミルコ・クロコップ | 1R 7:38 TKO(タオル投入) | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND 【無差別級GP 準々決勝】 |
2006年7月1日 |
○ | 西島洋介 | 1R 2:33 三角絞め | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦 【無差別級GP 1回戦】 |
2006年5月5日 |
○ | 小川直也 | 1R 6:04 TKO(腕ひしぎ十字固め) | PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- | 2005年12月31日 |
○ | タンク・アボット | 1R 7:12 片羽絞め | PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦 【スペシャルマッチ】 |
2005年8月28日 |
× | ヴァンダレイ・シウバ | 3R(10分/5分/5分)終了 判定1-2 | PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦 【ミドル級GP 1回戦】 |
2005年4月23日 |
× | ルーロン・ガードナー | 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- | 2004年12月31日 |
○ | マーク・ハント | 1R 5:25 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND 【スペシャルマッチ】 |
2004年6月20日 |
△ | ホイス・グレイシー | 10分2R終了 判定なし | PRIDE 男祭り 2003 | 2003年12月31日 |
× | ヴァンダレイ・シウバ | 2R(10分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦 【ミドル級GP 準決勝】 |
2003年11月9日 |
○ | 田村潔司 | 1R 5:06 袖車絞め | PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦 【ミドル級GP 1回戦】 |
2003年8月10日 |
○ | 佐竹雅昭 | 1R 0:50 フロントネックロック | INOKI BOM-BA-YE 2002 | 2002年12月31日 |
○ | ドン・フライ | 1R 5:32 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.23 | 2002年11月24日 |
特別ルール[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ホイス・グレイシー | 1R 7:24 TKO(レフェリーストップ:袖車絞め) | Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 【道衣着用ルール】 |
2002年8月28日 |
脚注[]
- ↑ 吉田秀彦選手の怪我について JOC公式サイト 2000年9月20日
外部リンク[]
- 吉田秀彦公式サイト
- SRC 選手データ
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- K-1 選手データ
- SHERDOG 選手データ
- JudoInside.com 選手データ
Wikipedia[]
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