坂田 亘 | |
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本名 | 坂田 亘 |
通称 | ハッスル兄貴 LOVE&HUSTLE |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1973年3月11日(51歳) |
出身地 | 愛知県中島郡祖父江町 |
身長 | 175cm |
体重 | 93kg |
リーチ | |
階級 | |
スタイル | 空手 器械体操 |
所属 | アニマル浜口レスリング道場 →リングス →EVOLUTION |
坂田 亘(さかた わたる、1973年3月11日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家。愛知県中島郡祖父江町(現・稲沢市)出身。
小池栄子は妻。
来歴[]
高校時代に極真空手を経験、卒業後にアニマル浜口レスリング道場に入門。
1993年にリングスに入団。1994年11月19日、鶴巻伸洋戦でデビュー。デビューからしばらくは同期の高阪剛の陰に隠れて目立たない存在であった。
1996年、UWFインターナショナルより移籍してきた田村潔司に師事してからは見違えたように技術の向上を見せ、以前は苦杯を舐めたウィリー・ピータースを勝利するなど成長の跡を見せた。リングスとパンクラスのトラブル時には「俺が前田さんを守る」と発言。1999年にはバーリトゥードにチャレンジ(ジアン・アルバレスに敗退)。
リングスには2001年6月10日まで所属。同団体に在籍中はネットワーク所属選手以外にヘンゾ・グレイシー、ブランドン・リー・ヒンクル、デイブ・メネーらと対戦経験がある。
2001年7月、愛知県名古屋市に総合格闘技ジム「坂田道場」を設立。同時にEVOLUTIONを結成。DEEP、UFO LEGEND、U-STYLE、PRIDEへ参戦した。DEEP初参戦時にはパンクラス所属の窪田幸生をTKOで下し、リングス・パンクラス間のトラブルを招いた鈴木みのるを挑発。この時期にはマリオ・スペーヒー、ダニエル・グレイシーなどとの対戦経験がある。
プロレスラーとしての活動は、ZERO-ONE、ZERO1-MAXを経てハッスルを活動の中心としている。ハッスルでは当初「ハッスル王子(プリンス)」のニックネームでハッスル軍に属していたが、ハッスル・ハウス4を直前に控えた2005年1月末にハッスル軍を離脱しヒールターンを果たした。それと同時に高田モンスター軍への入団を企てるが、ハッスル7(2005年2月11日)での入団査定試合に敗れ失敗。
その後ハッスル・ハウス6(2005年3月19日)でハッスル軍、モンスター軍のどちらにも属さずにやっていくと宣言、結果独自行動の坂田軍として活動することとなった。
まずハッスル9(2005年5月10日)で村浜武洋と兄弟の杯を交わし、続いてモンスター軍を追放されていたマーク・コールマンと合流。ハッスル・ハウス クリスマスSP(2005年12月24日)からは、同じくハッスル軍を離脱した崔領二も傘下に加えた。
またハッスル・ハウス11(2006年2月8日)では鈴木浩子GM(当時)に叱責された青木裕子を救出、坂田軍のマネージャーに登用。ハッスル15(2006年3月12日)ではシングルマッチの激闘の末に互いを認め合った天龍源一郎に対し、坂田軍の叔父貴(おじき)となることを要請。天龍も「そんな話は大きなオッパイのおねえちゃんのいる酒の席で話せ」とまんざらでもない様子であった。しかし、ハッスル・ハウス17(2006年7月11日)で開かれたハッスル・キングメモリアル6人タッグトーナメントでの敗戦後、急速にその関係は悪化、ハッスル・ハウス19(2006年8月9日)で天龍がモンスター軍に付いたことで完全に絶縁することになった。その後ハッスル・ハウス20(2006年9月7日)において行なわれたGM総選挙において、RGを破り当選し、新しいGMとなった。ちなみにこの後RGも坂田軍に加入した。
2006年11月23日のハッスル・マニア2006を機に坂田軍は「世界一性格の悪い男」で有名な鈴木みのるとNOSAWA論外、MAZADAの東京愚連隊という鈴木軍との新たな因縁関係が勃発した。
2007年には小川や大谷などの主力を欠いた新生ハッスル軍に助太刀する形で再び加入、以後HGと共に新生ハッスル軍の中心人物として活躍していた。
2007年8月29日、小池栄子と入籍。2008年7月24日に結婚披露宴を行なった[1]。
2009年秋頃からハッスルの運営母体である「ハッスルエンターテインメント株式会社」の資金難が表面化し、予定されていた興行が全て中止され事実上活動を休止。所属選手のほとんどは新たに設立された『SMASH』に移籍するか、あるいはフリーとなってしまったが、坂田は唯一ハッスルへ残留しハッスルの再興を目指す意向を表明[2]。その後2010年7月にハッスルの流れを汲む新団体として『ハッスルMAN'Sワールド』を設立し、自ら代表に就任した。
2010年、坂田道場を閉鎖。
戦績[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ダニエル・グレイシー | 1R 7:12 腕ひしぎ十字固め | PRIDE 男祭り 2003 | 2003年12月31日 |
× | マリオ・スペーヒー | 5分3R終了 判定0-3 | UFO LEGEND | 2002年8月8日 |
○ | トロ・イリソン | 1R 4:05 腕ひしぎ十字固め | DEEP2001 4th IMPACT | 2002年3月30日 |
○ | 窪田幸生 | 1R 4:05 TKO(マウントパンチ) | DEEP2001 3rd IMPACT | 2001年12月23日 |
○ | エイドリアン・セラーノ | 1R終了時 TKO(目の負傷) | DEEP2001 in YOKOHAMA | 2001年8月18日 |
× | 柳澤龍志 | 2R(10分/5分)終了 判定1-2 | リングス KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL | 2001年2月24日 |
× | デイブ・メネー | 5分2R終了 判定0-3 | リングス KING OF KINGS 2000 Aブロック | 2000年10月9日 |
× | グスタボ・シム | 1R 1:35 TKO(ドクターストップ:頭部カット) | リングス BATTLE GENESIS Vol.6 | 2000年9月5日 |
○ | マンスール・ヘイダリ | 4分3R終了 判定3-0 | WEF 9: World Class | 2000年5月13日 |
○ | ブランドン・リー・ヒンクル | 1R 7:23 アンクルホールド | リングス MILLENNIUM COMBINE | 2000年4月20日 |
× | ヘンゾ・グレイシー | 1R 1:25 腕ひしぎ十字固め | リングス KING OF KINGS 1999 Bブロック | 1999年12月22日 |
○ | クリス・ワッツ | 1R 6:53 アキレス腱固め | Total Fight KRG 5 | 1999年10月3日 |
× | ショーン・アルバレス | 20分1R終了 判定 | リングス 前田日明引退試合 ~The Final~ | 1999年2月21日 |
× | ウィリー・ピータース | 5分2R終了 判定 | リングスオランダ FREE-FIGHT GALA '98 THE KING OF RINGS | 1998年2月8日 |
人物[]
- 師匠の前田日明を尊敬しており、「自称・世界一の前田日明ファン」と自身のブログに書いていた。
- 1995年5月20日、リングス興行での鶴巻伸洋戦後にバックステージで前田から「不甲斐ない試合をした」と鉄拳制裁を受けた。
- 2006年7月、東京都渋谷区猿楽町(代官山駅)に居酒屋「ダイニングわたる」をオープンするも、2010年までに閉店した。
脚注・出典[]
- ↑ 坂田亘と小池栄子が結婚式 ウェディングドレスでハッスルポーズ スポーツナビ 2008年7月24日
- ↑ 「俺はこれからもハッスルするぞ!」坂田亘、たったひとりでハッスル再始動を表明!! ハッスル通信 2010年2月12日
外部リンク[]
- ハッスル 登場人物一覧
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- SHERDOG 選手データ
Wikipedia[]
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