小比類巻 太信 | |
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本名 | 小比類巻 貴之 |
通称 | コヒ ミスターストイック |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1977年11月7日(47歳) |
出身地 | 青森県三沢市 |
身長 | 180cm |
体重 | 70kg |
リーチ | |
階級 | ミドル級(K-1) |
スタイル | 空手 キックボクシング |
所属 | 極真会館 →アクティブJ →フリー →チームドラゴン →黒崎道場 →チームドラゴン →BRAVI RAGAZZI |
小比類巻 太信(こひるいまき たいしん、1977年11月7日 - )は、日本のキックボクサー。本名は小比類巻 貴之(こひるいまき たかゆき)。青森県三沢市出身。BRAVI RAGAZZI所属。チームドラゴン結成メンバーであった。
人物[]
愛称は「コヒ」で、キャッチコピー(K-1 WORLD MAX出場をきっかけにTBSがつけた)は 「ミスターストイック」。ストイック・ファイターとして紹介されるが、本人は「ミスターストイックは、メディアが勝手につけたあだ名」と、ストイックであることを否定している。
長身を生かした蹴り技が得意。
獲得タイトル[]
- ISKAオリエンタル世界スーパーウェルター級王座
- K-1 WORLD MAX 2002 日本代表決定トーナメント 準優勝
- K-1 WORLD MAX 2004 日本代表決定トーナメント 優勝
- K-1 WORLD MAX 2005 日本代表決定トーナメント 優勝
- K-1 WORLD MAX 2009 日本代表決定トーナメント 優勝
来歴[]
1997年1月31日、全日本キックボクシング連盟興行でアクティブJからプロデビュー。箱崎雄三にKO勝ちを収めた。
1997年5月30日、魔裟斗(当時:小林雅人)相手に、膝蹴りでKO勝ちを収めた。
1997年10月26日、全日本ウェルター王者鈴木達也と対戦し、TKO勝ちを収めた。
所属していたアクティブJが全日本キックボクシング連盟を離脱し、新団体J-NETWORKを旗揚げした。1997年12月21日、J-NETWORK旗揚げ戦でニュージャパンキックボクシング連盟ミドル級王者新田明臣にローキックでKO負け、6戦目にして初黒星となった。
1998年11月14日、シュートボクシング『GROUND ZERO TOKYO』でシュートボクシング王者土井広之と対戦し、TKO勝ちを収めた。
1999年3月17日、全日本キックボクシング連盟興行でチャナペック・ガッティンディと対戦し、KO負け。この試合で肋骨を骨折し、出場予定であった4月24日のマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟興行を欠場した[1]。
1999年8月24日、J-NETWORKを退団して、フリーに転向。前田憲作らとチームドラゴンを結成。
1999年10月3日、K-1初参戦となったK-1 GRAND PRIX '99 開幕戦で朴英樹と対戦し、ドローとなった。
2000年1月25日、ラモン・デッカーにTKO勝ち。日本人として初めての勝利となった。
2000年11月1日、ニール・ウッズ(イギリスWAKO欧州ムエタイウェルター級王者)との王座決定戦で3RKO勝ち。ISKAオリエンタル世界スーパーウェルター級王座獲得した。
2002年2月11日、K-1 WORLD MAX 2002 ~日本代表決定トーナメント~に出場。1回戦で須藤元気、準決勝で大野崇を破り決勝戦に進出。決勝の対戦相手はかつて自身がKOした経験を持ち、その後人気・実力共に破竹の勢いに乗っていた魔裟斗であったが、判定負けを喫した。試合後のリングで石井和義館長にコメントを求められ、「俺は・・・もう1回やって・・・絶対ぶっ殺します」と発言した[2]。5月11日、主催者推薦で世界一決定トーナメントに出場。1回戦でマリノ・デフローリンにKO勝ちするも、準決勝でガオラン・カウイチットにKO負け。以後1年以上勝ち星から遠ざかる。
2002年初めから2003年初めまで黒崎健時に師事し、黒崎道場に所属した。この道場はトレーナーが存在せず、寮に住み込んで、練習や自分の身の回りのことなど、あらゆることを自分一人で行なうというスタイルの道場であった。小比類巻はこの道場で、孤独感と闘いながらひたすら1人で練習していた。また、120kgのパチンコ玉が入ったリュックを背負って歩く、線香の束を自分の腕に押し付ける、高架下の壁をひたすら前蹴りする、などの荒行も行ない自分の殻を破ろうとするが、実戦練習の不足から試合での結果は残せず、スランプに陥った。最終的には、チームドラゴンへ復帰。
2004年2月24日、K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~で優勝。同~世界一決定トーナメント~に進出し、準々決勝でマイク・ザンビディスに判定勝ち、準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに左膝蹴りでKO負けを喫した。
翌2005年も日本代表決定トーナメントを制すが、7月20日の世界一決定トーナメントは準々決勝でアンディ・サワーに判定負け。サワー戦前に「恥骨結合かい離」を発症し、サワー戦後にしばらく戦列を離れた。
2006年4月5日、K-1 WORLD MAX 2006 ~世界一決定トーナメント開幕戦~でイム・チビンにKO勝利。6月30日の同トーナメント準々決勝では魔裟斗と3度目の対戦。ダウンを奪われ判定負けを喫した。
2006年9月4日、K-1 WORLD MAX 2006 ~世界王者対抗戦~でアンディ・サワーと再戦したが、クリンチによる減点と、3R終了直前のダウンの影響でリベンジならず返り討ちにされた。
2007年2月5日、K-1 WORLD MAX 2007 ~日本代表決定トーナメント~の1回戦で、アンディ・オロゴンと対戦し、延長Rにダウンを奪われ判定負け。試合後、2006年末に左足首を骨折していたことを告白。負傷の影響とはいえ、公約を果たせず、10種類の新技も不発に終わった。
2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007 ~世界一決定トーナメント決勝戦~のリザーブマッチでヴァージル・カラコダと対戦するも、右フックでKO負け。試合後、谷川貞治プロデューサーは「コヒの悪いところが全部出た」と語った[3]。また、この大会からチームドラゴンからBRAVI RAGAZZI所属となった[4]。
2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008で佐藤嘉洋と開幕戦出場を賭けて対戦予定であったが、自身の両膝靭帯損傷のため欠場となった。
2008年8月28日、小比類巻貴之から小比類巻太信(たいしん)に改名したことが発表された[5]。「自分のなかの太い柱、軸となるもの」「何者にも立ち向かう“信念”」といった意味合いが込められている[6]。
2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALで1年ぶりの復帰戦を行なった。ユーリ・メスと対戦し、1Rに左フックでダウンを奪われると、3R終了間際に左フックでダウンを奪われKO負けを喫した。
2008年11月23日、千葉県市川市南行徳に自身の道場「小比類巻道場」をオープンさせた[7]。
2008年12月5日、古巣・全日本キックボクシング連盟に約10年ぶりに参戦し、ASH-RAと対戦。2R、3Rにローキックでダウンを奪うなどして、判定勝ちを収めた。試合後、「満足できる試合ができなかった」と反省のコメントを残した。
2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009 ~日本代表決定トーナメント~の1回戦で、アンディ・オロゴンと対戦。クリンチによる減点を取られるも、2-0の判定勝ち。準決勝は城戸康裕と対戦し、2RKO勝ち。決勝は山本優弥と対戦。1Rに膝蹴りからの連打でダウンを奪うと、2Rにも積極的な攻めを見せる。しかし3R、ふらつきながらも前進する山本に押され、右ストレートでダウンを奪われる。その後何とか凌いで3-0の判定勝ちとなるも、解説の魔裟斗や谷川プロデューサーから、以前からの課題とされた精神的な弱さを改めて指摘されてしまった。
2009年4月21日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL16の1回戦でイム・チビンと対戦予定であったが、右足首靭帯損傷によりドクターストップとなり欠場となった[8]。
2009年9月28日、Survivor Round.1で才賀紀左衛門と2Rのエキシビションマッチを行ない、2Rに右ストレートでダウンを奪った。これは才賀にとっての生涯初のダウンだった。
2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALのスーパーファイトでドラゴと対戦し、1Rに1回、2Rに2回ダウンを奪われ判定負けを喫した。
2009年12月31日、Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~で西島洋介の入場曲「HOPE」のボーカルを担当[9]。
2010年3月23日、股関節の負傷のため同月27日の大会欠場と引退が同時に発表された[10]。
2010年9月23日、谷山ジム主催「ビッグバン・統一への道 其の参」に来場、休憩中にリング上に上がり「(2011年2月25日開催の)次回大会に出たいと思います」と現役復帰をアピールした。この発言を受け、メインイベントに勝利した城戸康裕が対戦相手に名乗りを挙げた[11]。
戦績[]
キックボクシング 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
62試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
40勝 | 25 | 15 | 0 | 2 | 0 | |
20敗 | 7 | 13 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ドラゴ | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL | 2009年10月26日 |
○ | 山本優弥 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2009 ~日本代表決定トーナメント~ 【決勝】 |
2009年2月23日 |
○ | 城戸康裕 | 2R 0:58 KO(2ノックダウン:右フック) | K-1 WORLD MAX 2009 ~日本代表決定トーナメント~ 【準決勝】 |
2009年2月23日 |
○ | アンディ・オロゴン | 3R終了 判定2-0 | K-1 WORLD MAX 2009 ~日本代表決定トーナメント~ 【1回戦】 |
2009年2月23日 |
○ | ASH-RA | 3R終了 判定3-0 | 全日本キックボクシング連盟 Fujiwara Festival ~藤原祭り2008~ | 2008年12月5日 |
× | ユーリ・メス | 3R 2:59 KO(左ストレート) | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL | 2008年10月1日 |
× | ヴァージル・カラコダ | 3R 1:56 KO(2ノックダウン:右フック) | K-1 WORLD MAX 2007 ~世界一決定トーナメント決勝戦~ 【リザーブファイト】 |
2007年10月3日 |
○ | ツグト"忍"アマラ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2007 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ 【スーパーファイト】 |
2007年6月28日 |
× | アンディ・オロゴン | 延長R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2007 ~日本代表決定トーナメント~ 【1回戦】 |
2007年2月5日 |
× | アンディ・サワー | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2006 ~世界王者対抗戦~ | 2006年9月4日 |
× | 魔裟斗 | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2006 ~世界一決定トーナメント決勝戦~ 【準々決勝】 |
2006年6月30日 |
○ | イム・チビン | 3R 2:46 KO(3ノックダウン:右ローキック) | K-1 WORLD MAX 2006 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ 【1回戦】 |
2006年4月5日 |
× | アンディ・サワー | 3R終了 判定0-2 | K-1 WORLD MAX 2005 ~世界一決定トーナメント決勝戦~ 【準々決勝】 |
2005年7月20日 |
○ | ダリウス・スクリアウディス | 2R 1:29 KO(左足首負傷) | K-1 WORLD MAX 2005 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ 【1回戦】 |
2005年5月4日 |
○ | 新田明臣 | 1R 0:36 KO(右上段前蹴り) | K-1 WORLD MAX 2005 ~日本代表決定トーナメント~ 【決勝】 |
2005年2月23日 |
○ | 小次郎 | 2R 1:13 KO(2ノックダウン:右フック) | K-1 WORLD MAX 2005 ~日本代表決定トーナメント~ 【準決勝】 |
2005年2月23日 |
○ | 安廣一哉 | 延長R終了 判定2-1 | K-1 WORLD MAX 2005 ~日本代表決定トーナメント~ 【1回戦】 |
2005年2月23日 |
○ | アルバート・クラウス | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2004 ~世界王者対抗戦~ | 2004年10月13日 |
× | ブアカーオ・ポー.プラムック | 2R 0:42 KO(2ノックダウン:左膝蹴り) | K-1 WORLD MAX 2004 ~世界一決定トーナメント~ 【準決勝】 |
2004年7月7日 |
○ | マイク・ザンビディス | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2004 ~世界一決定トーナメント~ 【準々決勝】 |
2004年7月7日 |
○ | パウロ・バリッシャ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2004 ~世界一決定トーナメント開幕戦~ 【1回戦】 |
2004年4月7日 |
○ | セルカン・イルマッツ | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~ 【決勝】 |
2004年2月24日 |
○ | 武田幸三 | 2R 1:05 KO(右跳び膝蹴り) | K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~ 【準決勝】 |
2004年2月24日 |
○ | HAYATO | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~ 【1回戦】 |
2004年2月24日 |
○ | トニー・バレント | 3R 0:59 KO(右ミドルキック) | K-1 WORLD MAX 2003 ~世界王者対抗戦~ | 2003年11月18日 |
× | フン・ファー | 延長2R終了 判定0-3 | FUTURE FIGHTER IKUSA 4 ~宴~ FIREWORKS | 2003年8月30日 |
○ | 湘南キャリミ | 3R終了 判定3-0 | FUTURE FIGHTER IKUSA 3 ~特攻~ BROKEN ARROW | 2003年6月8日 |
× | 安廣一哉 | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2003 ~日本代表決定トーナメント~ 【1回戦】 |
2003年3月1日 |
× | ピーター・クルック | 5R 1:09 KO(左フック) | K-1 WORLD MAX 2002 ~世界王者対抗戦~ | 2002年10月11日 |
× | ガオラン・カウイチット | 2R 2:42 KO(右膝蹴り) | K-1 WORLD MAX 2002 ~世界一決定戦~ 【準決勝】 |
2002年5月11日 |
○ | マリノ・デフローリン | 1R 1:12 KO(左膝蹴り) | K-1 WORLD MAX 2002 ~世界一決定戦~ 【1回戦】 |
2002年5月11日 |
× | 魔裟斗 | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2002 ~日本代表決定トーナメント~ 【決勝】 |
2002年2月11日 |
○ | 大野崇 | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2002 ~日本代表決定トーナメント~ 【準決勝】 |
2002年2月11日 |
○ | 須藤元気 | 3R 1:27 KO(2ノックダウン:右ローキック) | K-1 WORLD MAX 2002 ~日本代表決定トーナメント~ 【1回戦】 |
2002年2月11日 |
○ | ベン・スミューレン | 4R KO(右ローキック) | K-1 WORLD MAX オセアニア大会 | 2001年11月11日 |
○ | サミール・ベルバーチ | 3R 0:24 KO(左上段膝蹴り) | K-1 WORLD GP 2001 in OSAKA | 2001年4月29日 |
○ | グリチキン・マキシム | 5R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「ODYSSEY-1 伊藤隆・引退記念試合」 |
2001年3月30日 |
× | ダニエル・ドーソン | 5R終了 判定0-2 | Wolf Revolution Second Wave | 2001年1月12日 |
○ | ウィルフレッド・モンターニュ | 5R 1:46 KO(右ハイキック) | K-1 WORLD GP 2000 決勝戦 【オープニングファイト】 |
2000年12月10日 |
○ | ニール・ウッズ | 3R 0:47 KO(右ハイキック) | K-1 J・MAX 【ISKA世界スーパーウェルター級タイトルマッチ】 |
2000年11月1日 |
○ | 東金ルーク | 5R終了 判定3-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「COMBAT 2000」 |
2000年7月20日 |
× | マリノ・デフローリン | 3R終了 判定0-3 | K-1 FIGHT NIGHT 2000 【WKAムエタイ世界ミドル級タイトルマッチ】 |
2000年6月3日 |
△ | 後藤龍冶 | 5R終了 判定0-0 | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「東金ジム炎の7番勝負」 |
2000年4月29日 |
○ | ラモン・デッカー | 1R終了時 TKO(ドクターストップ:右脛負傷) | K-1 RISING 2000 | 2000年1月25日 |
○ | 東金シャノンF16 | 2R 2:26 TKO(ドクターストップ:カット) | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 「TORNADO WARNING トルネード襲来!!」 |
1999年12月24日 |
△ | 朴英樹 | 5R終了 判定0-0 | K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦 【特別試合】 |
1999年10月3日 |
× | キム・フン | 5R終了 判定1-2 | J-NETWORK「KICK the KICK 1999 stage2」 | 1999年6月1日 |
× | チャナペック・ガッティンディ | 3R 2:24 KO | 全日本キックボクシング連盟「WAVE-II」 | 1999年3月17日 |
○ | ピッティーノイJMTC | 3R 2:01 TKO(タオル投入) | J-NETWORK「KICK the KICK 1999 stage1」 | 1999年2月5日 |
× | マンゴーンダム・ポー・ポンサワーン | 5R終了 判定0-3 | タイ・オムノーイスタジアム | 1999年1月16日 |
○ | 千葉友浩 | 2R 2:56 KO(膝蹴り) | J-NETWORK「KICK the KICK 1998 FINAL」 | 1998年12月22日 |
○ | 土井広之 | 4R 0:38 TKO(ドクターストップ:右眉カット) | シュートボクシング ~GROUND ZERO TOKYO~ | 1998年11月14日 |
○ | カリム・スダ | 5R終了 判定3-0 | J-NETWORK「KICK the KICK 1998 STAGE-4」 | 1998年9月26日 |
× | ジョン・ウェイン・パー | 5R終了 判定0-3 | J-NETWORK | 1998年4月25日 |
○ | マーク・ブラッケンベリー | 2R 2:51 KO(カット) | J-NETWORK「KICK the KICK 1998 STAGE-1」 | 1998年2月28日 |
○ | スワット・ヌヒー | 4R KO | タイ・オムノーイスタジアム | 1998年1月24日 |
× | 新田明臣 | 4R 2:13 KO(ローキック) | J-NETWORK 旗揚げ戦 | 1997年12月21日 |
○ | 鈴木達也 | 2R 1:55 TKO | 全日本キックボクシング連盟 | 1997年10月26日 |
○ | 千葉友浩 | 3R 1:47 KO(膝蹴り) | 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-VIII」 | 1997年7月25日 |
○ | G.ギアッヌアンヂャン | 3R KO | タイ・オムノーイスタジアム | 1997年7月12日 |
○ | 小林雅人 | 3R 2:52 KO(膝蹴り) | 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-VI」 | 1997年5月30日 |
○ | 箱崎雄三 | 3R 1:54 KO | 全日本キックボクシング連盟「KICK OVER-I」 | 1997年1月31日 |
出演作品[]
テレビ[]
- もやしもん(ドラマ版 2010年 フジテレビノイタミナ) - 結城蛍(回想時)役
脚注[]
- ↑ 小比類巻貴之怪我のため4月24日カード変更 BoutReview 1999年4月6日
- ↑ [K-1] 魔裟斗が激戦を制覇/2.11 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント BoutReview 2002年2月17日
- ↑ [K-1 MAX] 10.3 武道館:サワー、魔裟斗破り2度目の優勝 BoutReview 2007年10月4日
- ↑ 【K-1MAX】10・3小比類巻貴之、カラコダと「パンチで打ち合う場面があるかも」 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年10月1日
- ↑ コヒ、小比類巻太信に改名し復帰。城戸リザーブ戦 BoutReview 2008年8月28日
- ↑ 「太信」 公式ブログ 2008年8月29日
- ↑ 小比類巻太信の道場が、千葉県市川市にオープン!! K-1公式サイト 2008年11月25日
- ↑ コヒ欠場。優弥が本戦、城戸がリザーブ戦に繰り上げ BoutReview 2009年4月13日
- ↑ 【Dynamite!!】12・31西島洋介のために小比類巻太信が入場曲を熱唱! 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年12月29日
- ↑ 【K-1MAX】引退発表の小比類巻に、谷川代表「プロとして失格」 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年3月23日
- ↑ 【ビッグバン】引退した小比類巻太信が現役復帰をアピール!城戸が対戦熱望 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月23日
関連項目[]
- K-1王者一覧
外部リンク[]
Wikipedia[]
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