秋山 成勲 | |
---|---|
本名 | 秋山 成勲 (旧名:秋成勲) |
通称 | セクシーヤマ(Sexyyama) 反骨の柔道王 反骨の柔道鬼 魔王 |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1975年7月29日(49歳) |
出身地 | 大阪府大阪市 |
身長 | 177cm |
体重 | 84kg |
リーチ | 191cm |
階級 | ライトヘビー級(HERO'S) →ミドル級(DREAM、UFC) →ウェルター級(UFC) |
スタイル | 柔道 |
所属 | フリー →チーム・クラウド |
テーマ曲 | Time To Say Good Bye (サラ・ブライトマン) |
秋山 成勲(あきやま よしひろ、1975年7月29日 - )は、日本の総合格闘家。元柔道家(三段)。大阪府大阪市出身。チーム・クラウド所属。妻はモデルのSHIHO。
在日韓国人四世として生まれ、後に日本国籍を取得した。旧名:秋 成勲(チュ・ソンフン、ハングル:추성훈)。ニックネームは「反骨の柔道王」、「魔王」。大晦日の桜庭戦の反則から、やれんのか!では「反骨の柔道鬼」と紹介された。
獲得タイトル[]
総合格闘技[]
- HERO'Sライトヘビー級王座(2006年)
柔道[]
- 1996年 全日本選抜柔道体重別学生選手権大会 2位
- 1999年 USオープン柔道大会 81kg級 優勝
- 1999年 韓国国際柔道大会 81kg級 3位
- 2000年 韓国国際柔道大会 81kg級 優勝
- 2001年 アジア柔道選手権大会 81kg級 優勝
- 2001年 東アジア大会柔道 81kg級 優勝
- 2001年 全日本実業柔道個人選手権大会 81kg級 優勝
- 2001年 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 81kg級 優勝
- 2002年 日本国際柔道大会 81kg級 優勝
- 2002年 パリ国際柔道大会 81kg級 優勝
- 2002年 アジア大会柔道 81kg級 優勝
- 2003年 全日本選抜柔道体重別選手権大会 81kg級 優勝
- 2003年 世界柔道選手権大会 81kg級 5位
来歴[]
出生から柔道家時代まで[]
父親の影響で、3歳より柔道を始める。清風高校から近畿大学へ入学。
大学卒業後、韓国へと渡り、市役所に勤務しながら韓国代表としてオリンピック出場を目指した。しかし、僑胞への差別は激しく、韓国代表となることを断念して、2001年9月日本へ帰国、日本国籍を取得し現在の本名・秋山成勲に改名する。平成管財へ入社し、柔道81kg級で活動した。
日本に帰化し、釜山アジア大会に出場・優勝した際、韓国のマスコミに対し「柔道のために日本国籍を取りはしたが、私は永遠に韓国人だ。私を声援してくれた同胞たちに感謝する」とインタビューに答え、かえって韓国のマスコミの批判・バッシングを受ける結果となった。
2004年4月4日、全日本選抜柔道体重別選手権大会(兼アテネオリンピック代表最終選考会)男子81kg級の準決勝で塘内将彦に優勢負けし、アテネオリンピック代表を逃した。これがきっかけとなり、5月には平成管財を退社、7月には全日本柔道連盟の強化選手指定を辞退した。
プロ格闘家への転身[]
2004年7月からフリーのプロ格闘家として活動。
2004年12月31日、プロ格闘技デビュー戦となった「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」でフランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。
2005年3月26日、初参戦となったHERO'Sでジェロム・レ・バンナと対戦し、左膝蹴りでKO負けを喫した。
2005年10月12日、「K-1 WORLD MAX 2005」のスペシャルマッチ(総合格闘技ルール)でマイケル・ラーマと対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた。
2005年12月31日、「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」でホイス・グレイシーと対戦予定であったが、12月上旬にぎっくり腰およびヘルニアを発症し欠場となった。
2005年11月5日、「HERO'S 2005 in SEOUL」に参戦。「韓国軍 vs. 世界連合軍」をテーマに開催された同大会に韓国軍の大将としてメインイベントに登場し、奥田正勝と対戦。1R、バスターからのパウンドで失神KO勝ち。なお、フィニッシュとなったパウンドで奥田の前歯を折った。
2006年8月5日、HERO'Sライトヘビー級トーナメントに参戦。1回戦で総合ルールデビューとなる金泰泳と対戦。腕ひしぎ十字固めでレフェリーストップ勝ちを収めるも、金から「タップしていない」というクレームがついた。試合後、「ファンからのブーイングをもらったのは仕方ない。(腕ひしぎ十字固めを)自分がやっていた時は音がなっていたんで、正しいレフェリングだったと思います。もちろん完全燃焼はしていない」と語った。しかし後日、協議の結果、レフェリングミスが認められ、レフェリーストップまでの判定による3-0の判定勝ちに変更された[1]。
2006年10月9日、HERO'Sライトヘビー級決勝トーナメント準決勝でケスタティス・スミルノヴァスをハイキックからのパウンドでKO勝ち、決勝ではメルヴィン・マヌーフを腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。HERO'Sライトヘビー級王座を獲得した。試合後のマイクアピールで、「チャンピオンになってしまいました。桜庭さん、じっくり治して、大晦日。このHERO'S、柔道最高!」と発言した。
2006年12月31日、「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」のメインイベントで桜庭和志と対戦。レフェリーストップで1RTKO勝利。試合後はセコンドについた清原和博と抱き合い勝利を喜んだ。後日、秋山の悪質な反則行為(本稿#不正および疑惑参照)が発覚し、2007年1月11日付けで試合結果はノーコンテスト扱いとなり[2]、FEG主催大会への無期限出場停止の処分を受けた[3](後述)。
2007年10月1日、HERO'Sの記者会見が韓国で開かれ、出場停止処分の解除が発表された。
2007年10月28日、「HERO'S KOREA 2007」でデニス・カーンと対戦し、右アッパーでKO勝ち。試合後、マイクを持った秋山は韓国語で「いろいろありましたけど、国民1人1人の力によって戻ってこれることができました。我が国、大韓民国、最高!」とアピールし、観客の拍手を浴びた。
2007年12月31日、「やれんのか! 大晦日! 2007」で三崎和雄と対戦。大会前日に新宿で行なわれた公開記者会見でも、入場時にも大ブーイングを浴びた。右ストレートで三崎からダウンを奪うも、持ち直した三崎の左フックで倒され、起き上がろうとしたところに右キックを受けKO負け。三崎は試合後のマイクアピールで「オレはお前を許さない」「お前の心が俺にも届いた」と批判とエールを込めた発言をし、マットに正座をして秋山に礼をした。試合後に直行した病院での検査で、鼻骨骨折と左膝の内側側副靭帯損傷と診断された。
「やれんのか!」でのフィニッシュとなったキックが4点ポジション時に受けたものだとして、2008年1月9日付けで主催者に抗議文を提出した。1月22日、三崎のキックがルールに抵触していると判断され、試合結果はノーコンテストに変更となった[4]。
2008年2月13日、DREAMの記者会見に参戦予定選手として出席。同会見で流された佐藤大輔作成の煽りVの中では「秋山"SATAN"成勲」と紹介された。DREAMミドル級GPに参戦予定であったが、大晦日に骨折した鼻骨を再度骨折し、欠場となった。
2008年4月17日に韓国で発売されたオムニバスアルバム『08恋のソナタ』に歌手として参加し、パク・サンミンの『一つの愛』を収録した。6月7日にはソウル蚕室メイン競技場で開催された「2008ドリームコンサート」に出演した。また、KIAやHITEビールなどのCMに起用されるなど韓国で芸能活動を行っており、日本のマスコミからのインタビューで「(気分は)韓国のマイケル・ジャクソン」と発言した。
2008年7月21日、DREAM初参戦となった「DREAM.5」で柴田勝頼と対戦し、袖車絞めで柴田を絞め落とし一本勝ち。この試合が地上波放送の瞬間最高視聴率13.7%を獲得(平均10.0%)[5]。9月23日の「DREAM.6」では外岡真徳に一本勝ちし、試合後のマイクでは「年末、吉田秀彦さんとやりたいです。自分の夢であり、越えなきゃいけない壁だと思っています。そのためにはいろんな方の力が必要です」とアピール。同大会のメインイベントで勝利した青木真也に「僕の前に試合をした秋山“マイケル・ジャクソン”成勲先輩!青木真也と大晦日にネバーランドでワオワオしませんか?」と対戦要求されたが、「リスペクトされるのは選手冥利に尽きますが、自分は今は吉田先輩しか見えていないです」とコメントし、青木は「自分の都合の良いように解釈されてますね」と苦笑していた。この試合が地上波放送の瞬間最高視聴率13.4%を獲得(平均9.0%)[6]。
2008年12月31日に開催された「Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~」にはオファーを受けていたものの、「今年の大晦日は辞めておきます」として欠場を表明した[7]。また、秋山が希望するファイトマネーがK-1最高水準に達したことにより、FEGサイドとの関係も悪化[8]。11月をもって契約が切れた。
2009年2月24日、UFC公式サイトにて秋山と契約したことが発表された。3月3日には日本で記者会見を開かれUFCと6試合契約をしたことが本人より発表された。翌4日には韓国でも記者会見が開かれた。韓国での会見にて「FEG側には強い相手との対戦を望んだのに、マッチメイクを実現してくれなかった。弱い相手と対決することを望むならDREAMに残っただろう」と批判した。しかし、秋山は自伝にて「総合ルールでジェロム・レ・バンナとのリベンジ戦か、バダ・ハリとの対戦を希望した」と明かしている。また、谷川貞治は格闘技専門誌等で「こちらはミルコ・クロコップや青木真也辺りと対戦してほしいとオファーしたが、秋山くんは自分よりも2階級も下で総合ルールの経験が一度も無い魔裟斗とK-1と総合のMIXルールで対戦したいと言ったり、高額なファイトマネーを要求したり、“強い相手と戦いたいからマッチメイク権を譲渡しろ”などと無理難題な要求をしてきた」と発言している[9]。
2009年3月10日、自身のサイトでSHIHOとの入籍を発表(入籍時期は同年1月)。5月には、東京都渋谷区広尾に自身の道場「クラウド秋山道場」が完成し、5月30日に道場内覧会が行なわれた。
2009年7月11日、UFC初参戦となった「UFC 100」でアラン・ベルチャーと対戦し、2-1の判定勝ちとなったが、僅差の試合内容であったにもかかわらずジャッジの1人の採点が30-27のフルマークで秋山を支持という判定が指摘され[10]、UFC社長ダナ・ホワイトを初めとして「ベルチャーの勝ちだった」との声も多く挙がった[11]。この試合はファイト・オブ・ザ・ナイトに選ばれボーナス10万ドルを手にしたが、試合直後にはローキックのダメージで倒れこみ、さらに左目眼窩底と鼻骨を骨折し現地の病院で眼窩底の手術を受けた。
2009年9月1日、「クラウド秋山道場」がグランドオープンした[12]。10月18日にはSHIHOとの結婚式を挙げた[13]。
2010年7月3日の「UFC 116」でヴァンダレイ・シウバとの対戦が決定していたがシウバが怪我で欠場し、代役として6月19日に試合をしたばかりのクリス・リーベンと対戦[14]。3R終了間際に三角絞めを極められタップアウト負け[15]。敗れはしたものの2試合連続のファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2010年10月16日、「UFC 120」のメインイベントでマイケル・ビスピンと対戦し、0-3の判定負け[16]。敗れはしたものの3試合連続のファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。
2011年3月19日、「UFC 128」でネイサン・マーコートと対戦予定であったが[17]、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の直後ということもあり日本に家族を置いてアメリカで試合をすることに不安を感じ、欠場となった。
2011年4月いっぱいで「クラウド秋山道場」が閉鎖された。
2011年8月6日、「UFC 133」のセミファイナルでヴィトー・ベウフォートと対戦し、パウンドによる失神TKO負けを喫しUFC3連敗となった[18]。
2012年2月26日、ズッファ体制初の日本開催となった「UFC 144」でジェイク・シールズと対戦し、0-3(27-30、27-30、27-30)の判定負けを喫しUFC4連敗となった[19]。階級をミドル級からウェルター級に下げての初戦となった[20]。
戦績[]
総合格闘技[]
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
20 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
13 勝 | 5 | 7 | 1 | 0 | 0 | 2 |
5 敗 | 2 | 1 | 2 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | ジェイク・シールズ | 5分3R終了 判定0-3 | UFC 144: Edgar vs. Henderson | 2012年2月26日 |
× | ヴィトー・ベウフォート | 1R 1:52 TKO(パウンド) | UFC 133: Evans vs. Ortiz 2 | 2011年8月6日 |
× | マイケル・ビスピン | 5分3R終了 判定0-3 | UFC 120: Bisping vs. Akiyama | 2010年10月16日 |
× | クリス・リーベン | 3R 4:40 三角絞め | UFC 116: Lesnar vs. Carwin | 2010年7月3日 |
○ | アラン・ベルチャー | 5分3R終了 判定2-1 | UFC 100 | 2009年7月11日 |
○ | 外岡真徳 | 1R 6:26 腕ひしぎ十字固め | DREAM.6 ミドル級グランプリ2008 決勝戦 【ミドル級ワンマッチ】 |
2008年9月23日 |
○ | 柴田勝頼 | 1R 6:34 袖車絞め | DREAM.5 ライト級グランプリ2008 決勝戦 | 2008年7月21日 |
- | 三崎和雄 | 1R 8:12 ノーコンテスト(三崎の反則行為) | やれんのか! 大晦日! 2007 | 2007年12月31日 |
○ | デニス・カーン | 1R 4:45 KO(右アッパー) | HERO'S KOREA 2007 | 2007年10月28日 |
- | 桜庭和志 | ノーコンテスト(秋山の反則行為) | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
○ | メルヴィン・マヌーフ | 1R 1:58 腕ひしぎ十字固め | HERO'S 2006 ミドル級&ライトヘビー級世界最強王者決定トーナメント決勝戦 【ライトヘビー級 決勝】 |
2006年10月9日 |
○ | ケスタティス・スミルノヴァス | 1R 3:01 TKO(パウンド) | HERO'S 2006 ミドル級&ライトヘビー級世界最強王者決定トーナメント決勝戦 【ライトヘビー級 準決勝】 |
2006年10月9日 |
○ | 金泰泳 | 1R 2:01 判定3-0 | HERO'S 2006 ミドル&ライトヘビー級 世界最強王者決定トーナメント準々決勝 【ライトヘビー級 準々決勝】 |
2006年8月5日 |
○ | 永田克彦 | 2R 2:25 KO(右後ろ回し蹴り) | HERO'S 2006 | 2006年5月3日 |
○ | 石澤常光 | 2R 1:41 袖車絞め | HERO'S 2006 | 2006年3月15日 |
○ | 奥田正勝 | 1R 3:31 TKO(パウンド) | HERO'S 2005 in SEOUL | 2005年11月5日 |
○ | マイケル・ラーマ | 1R 2:47 TKO(パウンド) | K-1 WORLD MAX 2005 ~世界王者対抗戦~ 【スペシャルマッチ(総合格闘技ルール)】 |
2005年10月12日 |
○ | カール"トゥームストーン"トゥーミィ | 1R 0:59 腕ひしぎ十字固め | HERO'S 2005 ミドル級世界最強王者決定トーナメント 【スーパーファイト】 |
2005年7月6日 |
× | ジェロム・レ・バンナ | 1R 2:24 KO(左膝蹴り) | HERO'S | 2005年3月26日 |
○ | フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタ | 1R 1:54 腕ひしぎ十字固め | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! (各Rエスケープ1回可能) |
2004年12月31日 |
試合での反則行為の指摘[]
柔道[]
2003年、世界柔道選手権大会の日本代表決定戦となる全日本選抜柔道体重別選手権大会に優勝。しかし、この決勝戦において対戦相手の中村兼三に「柔道着が滑る」と抗議された。
同年10月の世界柔道選手権で2回戦から4回戦の対戦相手であるフランス、モンゴル、トルコの3か国から「柔道着が滑る」という抗議を受けた[21]。なお、1回戦は不戦勝であり、すべての対戦相手から抗議を受けるのは史上初の珍事。国際柔道連盟のチェックでは大きな問題なしとされたが、「疑われるようなことが問題」という山下泰裕理事の指示で柔道着が交換させられた[22]。本人は「洗ったばかりで石鹸が少し残っていた」と弁明。柔道着を交換した後は準決勝、敗者復活戦で2連敗して5位。この世界選手権で優勝すればアテネオリンピックにおける柔道81kg級のオリンピック代表が決まるともされていたが、この後の最終予選権を兼ねた全日本選抜柔道体重別選手権大会でも準決勝で敗れて落選した。
総合格闘技[]
身体へのオイル(ワセリン)の塗布[]
2006年12月31日、「K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!」で桜庭和志と対戦。タックルから足を取ろうとした桜庭が異常を感じ、試合中断要求(秋山の足が「滑る」と猛アピール)を行なうも、レフェリーを務めた梅木良則、および秋山は、受け入れずに試合を続行させた。桜庭はその後も数度、足を取ろうと試みるが失敗(その際も桜庭は試合を行ないながら「滑る」と抗議のアピール)。秋山はそのままパンチのラッシュからオープンガードの上を取り、桜庭に百発を超えるパウンドのラッシュを続けた。その最中も殴られながら、桜庭は「滑るよ!」「反則だろ!(反則だ!)」と繰り返し抗議したが試合は続行された。その後、レフェリーストップ(平直行審判長と前田SVの判断)のゴングが鳴り、秋山が勝利。試合後も「全身が滑る」と訴えていた桜庭の抗議を受け、秋山の体をレフェリーがチェックしたとのことだが、実際は秋山の背中を2度、左肩を1度、胸を1度なでた程度だった。しかも、そのチェックの前に秋山は、Tシャツを着ているセコンドのトレーナーと2度抱き合い、その次に清原と抱き合っている。結局、桜庭の片足タックルをすり抜けた足、秋山の試合着については一切チェックしなかった。桜庭は既に決着が付き、リングを降りた試合直後も控え室に向かう廊下で「思いっきりオイル塗ってる」「汗とオイルの滑りの違いくらい判りますよ」と憤慨を隠さず、「信じられんわ。抗議しますよ僕は」と強い口調で遺憾の念を表明した。その様子は主催者側が用意していたカメラにも収められている。この試合についてイベントプロデューサーの谷川貞治は「最後に試合を止めたのは、レフェリーと前田SVの判断。秋山の体から油らしきものは出なかった。金的(急所への攻撃)やサミングがあったなら試合は止めるべきだが、あれは桜庭の主張なので止めるべきではない。しかし、あんなに桜庭が怒りを露わにするのを見たのは初めてだ」とコメントした[23]。この件に関して秋山は、2007年1月1日の記者会見で「多汗症なんですよ」と弁解した。また、試合出場時にはボディーチェックがなされるが、この時はスタッフがイベントの流れをスムーズにするよう指示されていたことや、チェック時に本人がなぜか走ってリングに入ったことから、ほとんどチェックできなかったことが後になって判明した。
2007年1月11日、都内ホテルにおいて、主催者による秋山VS桜庭戦に関する記者会見が行なわれ、秋山が試合前、全身にアメリカ製のスキンクリームを塗っていた事実が明らかにされた。しかも、成分にワセリンやグリセリンも含まれているものだった。クリームは、秋山が乾燥肌で、それを防ぐために普段から使用しているものとした。秋山は、直接ワセリンやタイオイルを謳った類いのものではないので、塗っても大丈夫という認識だったとしている。またFEG側は、テレビカメラの前で堂々と塗っていることから、秋山サイドに悪意はなく、過失と判断した。しかし、HERO'Sルールは、試合前に体に何かを塗ること自体を禁止しているため、試合はノーコンテスト(無効試合)、秋山のファイトマネーは全額没収となった。その後1月17日、FEGが主催する大会への無期限出場停止の追加処分が下された。また、この件に伴い、レフェリーを務めた梅木良則や他の審判員も処分を受けている。総合格闘技で身体に何かを塗布する行為は、通常主催者側から厳重な注意・監視がなされており、本来綿密にすべきルールミーティングを怠ったとしてFEG側を糾弾する動きも一部で見られた。
人物、エピソード[]
- 復帰後の韓国大会で勝利した後のリングインタビューで「韓国に帰ってくることができました」といった趣旨の発言や、「わが大韓民国最高」などと発言した。秋山は以前から「柔道をするために日本国籍を取得した」と発言するなど、韓国を意識した発言をすることが多い。
- 桜庭戦での反則行為による謹慎中にフライデー2007年3月16日号で、ファッションモデルSHIHOとの交際をスクープされ、2人はその後、2009年に入籍した。
- 2009年4月、ベストセラーズ社より自伝「ふたつの魂 HEEL or HERO」を出版。
脚注[]
- ↑ 秋山成勲vs金泰泳戦の結果に関するお知らせ HERO'S公式サイト
- ↑ 秋山成勲vs桜庭和志戦の裁定に関する結果報告 FEG公式サイト 2007年1月11日
- ↑ 桜庭和志が納得するも、秋山成勲は無期限出場停止 FEG公式サイト 2007年1月17日
- ↑ 三崎×秋山は無効試合に。「疑わしきは罰す」裁定 BoutReview 2008年1月22日
- ↑ 【DREAM】7・21有言実行!瞬間最高視聴率は秋山成勲 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年7月22日
- ↑ 【DREAM】初代ミドル級王者ムサシも秋山成勲に対戦表明!「それが皆さんが見たい試合」 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年9月24日
- ↑ 【Dynamite!!】12・31秋山成勲の参戦は消滅!「これ以上、交渉しない」(谷川代表) 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年12月11日
- ↑ 風雲児・秋山成勲、またさまようのか 中央日報 2008年12月23日
- ↑ kamipro No.130
- ↑ AKIYAMA GETS CONTROVERSIAL WIN OVER BELCHER MMAWeekly 2009年7月11日
- ↑ ダナが秋山に合格点も「ベルチャーの勝ちだと思った」 kamipro.com 2009年7月12日
- ↑ クラウド秋山道場9月1日オープン!!! 秋山成勲 オフィシャルブログ 2009年8月28日
秋山、主宰道場本格オープンで直接指導 デイリースポーツ 2009年9月2日 - ↑ 格闘家・秋山&SHIHO 披露宴で涙の誓い スポニチ 2009年10月19日
- ↑ 【UFC116】秋山×ヴァンダレイ正式消滅、レーベン戦へ MMAPLANET 2010年6月26日
- ↑ 【UFC116】秋山2度目のオクタゴンはレーベンに一本負け MMAPLANET 2010年7月4日
- ↑ 【UFC120】秋山、果敢な打ち合い見せるも判定に散る MMAPLANET 2010年10月17日
- ↑ 【UFC】秋山成勲「次が正念場」、岡見勇信「2011年は必ずベルトを獲りたい」 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年1月24日
- ↑ 【UFC133】秋山、ヴィトーの前になす術なく秒殺負け MMAPLANET 2011年8月7日
- ↑ 【UFC144】秋山成勲、投げを決めるも決定機なく MMAPLANET 2012年2月26日
- ↑ 【UFC144】秋山成勲、「セクシーな試合したい」 MMAPLANET 2012年2月23日
- ↑ 国際柔道連盟理事・山下泰裕氏インタビュー「発祥国の過信捨て、柔道の心世界に」(東京中日スポーツ・2003年10月1日より再録) スポーツライター・増島みどりのホームページ / MASUJIMA STADIUM
- ↑ 「Dynamite!!」不正疑惑の秋山成勲選手が失格、無効試合に。 narinari.com 2007年1月11日
- ↑ 桜庭VS秋山疑惑?試合 レフェリーのブログ大炎上 J-CAST 2007年1月5日
外部リンク[]
- オフィシャルサイト
- オフィシャルブログ
- akiyamayoshihir - Twitter
- UFC 選手データ
- DREAM 選手データ
- HERO'S 選手データ - Internet Archive
- K-1 選手データ
- SHERDOG 選手データ
- JudoInside.com 選手データ(秋山成勲)
- JudoInside.com 選手データ(秋成勲)
Wikipedia[]
前優勝者 |
HERO'S 2006 ライトヘビー級最強王者決定トーナメント優勝 2006年10月9日 |
次優勝者 |
![]() |
このページには、クリエイティブ・コモンズでライセンスされたウィキペディアの記事が使用され、それをもとに編集がなされています。 使用された記事は秋山成勲にあり、その著作権者のリストはページの履歴に記録されています。 |