藤 鬥嘩裟(ふじ つかさ) | |
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本名 | 笠原 司(かさはら つかさ) |
通称 | ストイックボーイ キックの申し子 地上最強の中学生 |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1992年9月18日(32歳) |
出身地 | 埼玉県富士見市 |
身長 | 173cm |
体重 | 62kg |
リーチ | |
階級 | フライ級(J-NETWORK) |
スタイル | 空手 キックボクシング |
所属 | 藤ジム →BLUE DOG GYM |
藤 鬥嘩裟(ふじ つかさ、1992年9月18日 - )は、日本のキックボクサー。本名は笠原 司(かさはら つかさ)。埼玉県富士見市出身。BLUE DOG GYM所属。
松井章圭、魔裟斗を育てた師匠である藤ジムの加藤重夫会長が「魔裟斗を超える10年に1人の逸材」「魔裟斗が17~18歳でやっていた練習を14歳の時点で既にこなしている。」と絶賛している。
2008年3月の中学卒業後、勇志国際高校に入学し、インターネットで授業を受けている。
2011年4月からリングネームを藤 鬥嘩裟から鬥嘩裟に変更した。
獲得タイトル[]
- 第3代J-NETWORKフライ級王座
来歴[]
幼稚園から空手を始め、小学3年生の時に藤ジムに入門しキックボクシングを始めた。
2003年5月3日、第14回全日本新空手道選手権大会 K-4グランプリ 小学3~4年生部 優勝。
2006年9月24日、天空キックボクシング協会主催興行において14歳の史上最年少でプロデビュー。25歳の鈴木朝春と対戦し、2Rに膝蹴りでKO勝ちを収めた。
2007年1月14日、天空でジョムホーツ・ソー・パラーンチャイに判定勝ちを収めた。
2007年4月15日、天空におけるプロ3戦目で初のメインイベントに登場し、森山進介に判定勝ちを収めた。
2007年6月3日、初参戦となったJ-NETWORKで山野寛之に判定勝ちを収めた。
2007年7月22日、天空でクレイジー・ヒルと対戦。2R左肘打ちでまぶたをカットさせ、TKO勝ちを収めた。
2007年9月16日、J-NETWORKでノッパチャイ・ラッタナウォンと対戦。2R首相撲からの肘で眉間をカットし大流血。ドクターストップ負けとなり、デビュー以来の連勝が5でストップした。試合後、18針を縫った。
2007年11月9日、J-NETWORK「Championship Tour of J Final」で開催された「J-NETWORKフライ級王座決定ワンデイ・トーナメント」に出場。1回戦は三好純に判定勝ち、決勝も薩摩サザ波に判定勝ちし、日本キックボクシング史上最年少でのチャンピオンとなった。試合後、K-1関係者も見守る中「HIROYA選手に一言言いたい。近い将来に絶対にやると思いますが、絶対負けません」とアピールした。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で開催された「K-1甲子園 U-18日本一決定トーナメント」の1回戦でHIROYAと対戦予定であったが、労働基準監督署への申請が間に合わず出場がキャンセルされた[1]。当日はリング上で挨拶を行った。
2008年2月29日、J-NETWORK「Let's Kick with J 1st」で開催されたスーパーフライ級次期挑戦者決定トーナメントに出場予定であったがHIROYAとの試合のため出場を取りやめ、ワンマッチで大原清和と対戦。肘打ちでカットさせるなどして判定勝ち。試合後のマイクアピールで、HIROYAへのライバル心を見せた。
2008年3月、中学を卒業。
2008年4月9日、『K-1 WORLD MAX 2008 FINAL16』で大晦日に対戦が流れたHIROYAと改めて対戦し、判定負け。試合前から舌戦を繰り広げた。
2008年6月1日、J-NETWORKでヨンユット・JTクラブジムと対戦予定であったが、「HIROYA戦以降、練習に対するモチベーションが低下した」との理由で欠場し、J-NETWORKフライ級王座も返上した。
2008年8月29日、『K-1甲子園 KING OF UNDER 18 ~FINAL16~』で平塚大士と対戦し、判定負けを喫した。
2009年3月15日、J-NETWORKでフェザー級に転向して6か月ぶりに復帰し佐藤政人と対戦するも、顔面をカットするなどして判定負けを喫した。
2009年6月28日、K-1甲子園関東予選トーナメント(Aブロック)で優勝し本戦への切符を手に入れた[2]。
2009年8月10日、『K-1甲子園 ~FINAL 16』の62kg級1回戦で増子航平と対戦し、3Rに2度のダウンを奪いTKO勝ち。10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALで行なわれた準々決勝で石田勝希と対戦し、判定負け。12月31日、Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~のリザーブファイトで日下部竜也と対戦し、判定勝ちを収めた。
2010年9月20日、Krush初参戦となったKrush.10で小澤量哉と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[3]。
2011年4月29日、J-NETWORK「TIME to CHANGE the KICK by J-SPIRIT 2nd」で、J-NETWORKスーパーフェザー級王者木村天鮮と対戦し、1Rにダウンを奪い2-0の判定勝ち。この試合よりリングネームを鬥嘩裟に変更し、所属先もBLUE DOG GYMとなった[4]。
2011年6月19日、J-NETWORK「TIME to CHANGE the KICK by J-SPIRIT 3rd」で笠原淳矢と対戦し、0-2の判定負けを喫した[5]。
戦績[]
キックボクシング 戦績 | ||||||
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20試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
12勝 | 3 | 9 | 0 | 0 | 0 | |
8敗 | 1 | 7 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 笠原淳矢 | 3R終了 判定0-2 | J-NETWORK「TIME to CHANGE the KICK by J-SPIRIT 3rd」 | 2011年6月19日 |
○ | 木村天鮮 | 3R終了 判定2-0 | J-NETWORK「TIME to CHANGE the KICK by J-SPIRIT 2nd」 | 2011年4月29日 |
× | 渡辺武 | 3R終了 判定0-3 | Krush-EX 2011 vol.2 | 2011年2月13日 |
○ | 小澤量哉 | 3R終了 判定3-0 | Krush.10 | 2010年9月20日 |
× | 山崎秀晃 | 3分3R終了 判定0-3 | Krush×Survivor | 2010年3月13日 |
○ | 日下部竜也 | 2分3R終了 判定2-0 | Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~ 【K-1甲子園2009 62kg級 リザーブファイト】 |
2009年12月31日 |
× | 石田勝希 | 2分3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL 【K-1甲子園2009 62kg級 準々決勝】 |
2009年10月26日 |
○ | 増子航平 | 3R 1:22 TKO(2ノックダウン) | K-1甲子園 ~FINAL 16 【K-1甲子園2009 62kg級 1回戦】 |
2009年8月10日 |
× | 佐藤政人 | 3R+延長R終了 判定0-3 | J-NETWORK「J-FIGHT 24」 | 2009年3月15日 |
× | 平塚大士 | 2分3R終了 判定1-2 | K-1甲子園 KING OF UNDER 18 ~FINAL16~ 【K-1甲子園2008 1回戦】 |
2008年8月29日 |
× | HIROYA | 3R終了 判定0-3 | K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL16 【K-1 WORLD YOUTH 特別試合】 |
2008年4月9日 |
○ | 大原清和 | 3R終了 判定3-0 | J-NETWORK「Let's Kick with J 1st」 | 2008年2月29日 |
○ | 薩摩サザ波 | 3R終了 判定3-0 | J-NETWORK「Championship Tour of J Final」 【J-NETWORKフライ級王座決定トーナメント決勝】 |
2007年11月9日 |
○ | 三好純 | 3R終了 判定3-0 | J-NETWORK「Championship Tour of J Final」 【J-NETWORKフライ級王座決定トーナメント準決勝】 |
2007年11月9日 |
× | ノッパチャイ・ラッタナウォン | 2R 2:50 TKO(ドクターストップ:右まぶた負傷) | J-NETWORK「Championship Tour of J 2nd」 | 2007年9月16日 |
○ | クレイジー・ヒル | 2R 1:14 TKO(ドクターストップ:右眉カット) | 天空キックボクシング協会 「キックボクシング『天空』~四季~」 |
2007年7月22日 |
○ | 山野寛之 | 3R終了 判定3-0 | J-NETWORK「TEAM DRAGON QUEST 1」 | 2007年6月3日 |
○ | 森山進介 | 5R終了 判定3-0 | 天空キックボクシング協会 「キックボクシング『天空』~東西南北~」 |
2007年4月15日 |
○ | ジョムホーツ・ソー・パラーンチャイ | 5R終了 判定3-0 | 天空キックボクシング協会 「キックボクシング『天空』~星雲~」 |
2007年1月14日 |
○ | 鈴木朝春 | 2R 2:12 KO(膝蹴り) | 天空キックボクシング協会 「キックボクシング『天空』~希望~」 |
2006年9月24日 |
その他[]
- 2007年、デビュー3戦目を前にスポーツブランド「ボディメーカー」と専属モデル契約を交わした。
脚注[]
- ↑ 中学生の藤鬥嘩裟が労働基準の問題で欠場 BoutReview 2007年12月22日
- ↑ K-1甲子園2009 関東地区予選大会 K-1公式サイト
- ↑ 【Krush】63kg級で大波乱!卜部功也がK-1王者・大和哲也を撃破 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月20日
- ↑ 【J-NETWORK】牧野智昭が世界タイトルを戴冠!菅原勇介が大石駿介への挑戦権を獲得 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年4月29日
- ↑ 【J-NETWORK】菅原が大石にリベンジ&王座返り咲き!炎出丸が暫定王者に 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年6月19日
関連項目[]
外部リンク[]
Wikipedia[]
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