青木 真也 | |
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本名 | 青木 真也 |
通称 | バカサバイバー 跳関十段 |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1983年5月9日(41歳) |
出身地 | 静岡県静岡市 |
身長 | 180cm |
体重 | 70kg |
リーチ | 183cm |
階級 | ライト級(DREAM) ミドル級(修斗) |
スタイル | 柔道 |
所属 | フリー →Team ROKEN →パラエストラ東京/Evolve MMA[1] |
テーマ曲 | バカサバイバー(ウルフルズ) |
青木 真也(あおき しんや、1983年5月9日 - )は、日本の総合格闘家、ブラジリアン柔術家。静岡県静岡市出身。パラエストラ東京/Evolve MMA所属[1]。
寝技の極めの技術に非常に長け、数々の試合で一本勝ちを収め、日本の軽量級最高峰のグラップラーとして評価され、「跳関十段」(とびかんじゅうだん)、「バカサバイバー」の異名を持つ。中井祐樹からブラジリアン柔術黒帯を授けられている。
DEEPジムのインストラクターとして働いているが、試合はパラエストラ東京の代表として出場している。2011年5月よりシンガポールに所在するジム「Evolve MMA」も所属先として併記することになった[1]。
主な獲得タイトル[]
- 全日本サンボ選手権大会 男子シニア82kg級 3位(2003年)
- DEEPフューチャーキングトーナメント 優勝(2003年)
- 全国体育系学生体重別選手権 81kg級 優勝(2003年)
- イサミ杯 優勝(2004年)
- 全日本ブラジリアン柔術オープントーナメント 優勝(2004年)
- 何気杯 優勝(2004年)
- 全日本サンボ選手権大会 男子シニア82kg級 優勝(2004年)[2]
- 全日本ブラジリアン柔術選手権大会 アブソリュート級 優勝(2004年)
- ブラジリアン柔術コパアクシス紫帯メジオ級 優勝(2004年)
- アブダビコンバット日本予選 -77kg未満級 優勝(2005年)
- ブドーチャレンジ -77kg級 優勝(2005年)
- 第8代修斗世界ミドル級王座(2006年、防衛1度)
- 初代WAMMA世界ライト級王座(2008年)
- 第2代DREAMライト級王座(2009年)
来歴[]
東海大第一中学、静岡学園高校、早稲田大学のそれぞれで柔道部に在籍。この当時から既にさまざまな格闘技に通じ、跳びつき腕ひしぎ十字固め・脇固め・スピニングチョーク・フットチョークなど、柔道においては特異な技の数々で勝利をものにしてきた。その結果全日本ジュニア強化選手となったが、競技柔道(講道館柔道)では投げ技による一本勝ちを重視する傾向があるため、ともすれば高専柔道や七帝柔道とも見なされかねない青木のスタイルは講道館柔道の世界からは異端扱いをされ、結果青木はその格闘技観の違いから、「極」を重視した格闘技へと活躍の場を移すことを決意。
2003年11月24日、「club DEEP 4th」で行なわれたフューチャーキングトーナメント82kg以下級で優勝[3]。
2004年10月30日、「DEEP 16th IMPACT」で中尾受太郎と対戦。寝技を駆使し試合を優位に進めるも、スタンドの打ち合いで左ストレートを受けKO負けを喫した。
2004年11月28日、「COPA reversal 2004」で弘中邦佳と柔術マッチで対戦し、跳びつき腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。フィニッシュの腕ひしぎ十字固めで弘中は右肘を脱臼した[4]。
2005年1月29日、初参戦となった修斗でキース・ウィスニエフスキーにスタンド状態から腕ひしぎ脇固めで一本勝ち。フィニッシュの腕ひしぎ脇固めでウィスニエフスキーは左腕を骨折した[5]。2005年2月2日付けでクラスAに昇格した(1戦1勝)[6]。
2005年5月4日、修斗で岩瀬茂俊と対戦予定であったが、眼底検査で網膜裂孔と診断され、インターナショナル修斗コミッションよりライセンスが発行されず、欠場となった[7]。
2005年5月28日、アブダビコンバットでは、77kg未満級の2回戦でマルセロ・ガッシアと対戦し、バックを許し、チョークスリーパーで一本負け。翌日5月29日には無差別級の1回戦でホジャー・グレイシーと対戦し、アキレス腱固めによる一本負けを喫した。
2005年6月11日、プロ柔術関西「大阪夏の陣」で渡辺直由へのリベンジに成功。試合後、セコンドについていた渡辺の師である早川光由に「次はお前だ!」と対戦要求した[8]。
2005年7月30日、網膜裂孔が完治し修斗よりライセンスが発行され、5月に中止となった岩瀬茂俊と対戦[9]。開始35秒、右ローキックを股間に受けてしまい、反則勝ちとなった[10]。
2005年8月20日、修斗で桜井"マッハ"速人と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2005年10月19日、カリフォルニア州で行なわれたヒクソン・グレイシー主催のブドーチャレンジ77kg未満級トーナメントに参戦。決勝でキャメロン・アールに一本勝ちし優勝を果たした。
2005年11月6日、1年前に柔術マッチで対戦した弘中と修斗で再戦し、三角絞めで固めた上での鉄槌で左眉付近をカットさせ、TKO勝ちを収めた。
2005年11月20日、「カンペオナート・ジャポネーズ・ジュウジュツ・アベルト」のアダルト黒帯アブソルート級1回戦で、階級が下の小野瀬龍也のスパイダーガードを攻略出来ずに敗北。
2006年2月17日、修斗世界ミドル級王者菊地昭に判定勝ち、史上最短の5戦目にして第5代世界ミドル級王者となった。試合直後にリング上でマイクを握った青木は号泣しながら修斗への感謝を語り、「俺は一生修斗しかやりません」と宣言した[11]。また、直後のインタビューでは「PRIDEさんからも声がかかったけど、PRIDEは競技ではない。あれはイベントであり、エンターテインメントだから僕の目指す競技ではない」と発言していた(後述)。
2006年3月に大学卒業後、警察官(静岡県警)となり警察学校に入るが2か月で退職し、プロ格闘家一本へ。そして雑誌にてPRIDEへの参戦を仄めかし、後にPRIDE参戦が決定。
2006年8月26日、PRIDE初参戦となった「PRIDE 武士道 -其の十二-」でジェイソン・ブラックと対戦し、三角絞めによる一本勝ちを収めた[12]。
2006年10月14日、修斗でジョージ・ソテロポロスと対戦し、金的攻撃による反則勝ちとなった。
2006年11月5日、「PRIDE 武士道 -其の十三-」でギルバート・メレンデスと対戦予定だったが、メレンデスが負傷欠場。代役のクレイ・フレンチと対戦し、跳び三角絞めで一本勝ち。試合後、リング上でマイクを握った青木は、リングサイドで腕をギプスで固定しながら観戦していたメレンデスに対して、大晦日に試合をすることを呼びかけ、メレンデスもこれに賛同したものの[13]、結局同年の大晦日は青木はハンセンと、メレンデスは川尻達也と対戦したため両者の対戦は実現しなかった。
2006年12月31日、大晦日興行初参戦となった「PRIDE 男祭り 2006」でヨアキム・ハンセンと対戦。レインボーカラーのスパッツ&マウスピースといういでたちで登場、開始早々にグラウンドに引きずり込みフットチョーク(PRIDEの公式記録はトライアングルチョーク)で一本勝ちを収めた。
2007年2月17日、修斗世界ミドル級王座の初防衛戦で前王者・菊地昭と再戦し、2-1の判定勝ちで王座防衛を果たした。
2007年3月、DEEP GYMで自らが指導するクラスを開始させた。
2007年4月8日、「PRIDE.34」でブライアン・ローアンユーと対戦。ローアンユーのパウンドや膝蹴りでダメージを負うも、冷静に下から腕ひしぎ十字固めを極め一本勝ちを収めた。
2007年6月17日、グラップリング大会「DEEP X」のメインイベントでペドロ・アキーラと対戦。開始38秒、チョークスリーパーによる一本勝ちを収めた。
2007年12月31日、2年連続の大晦日興行参戦となった「やれんのか! 大晦日! 2007」でJ.Z.カルバンと対戦予定であったが、カルバンの負傷による欠場により、代わりに参戦となった総合格闘技デビュー戦のチョン・ブギョンとメインイベントで対戦。腕ひしぎ十字固めを2度極めかけられるなど苦戦するも、パウンドで流れを引き寄せ3-0の判定勝ちを収めた。
DREAM設立後[]
2008年3月15日、「DREAM.1」のライト級グランプリ1回戦でJ.Z.カルバンと対戦。1R序盤、カルバンがガブッた体勢から振り下ろした肘が青木の首に当たってしまう。反則行為である延髄への打撃と見なされ、ダメージの残る青木に3分間のインターバルが与えられるも回復せず、偶発的なアクシデントによりノーコンテストとなった[14]。トーナメントの勝ち上がりは主催者預かりとなったが、4月4日の記者会見で没収試合に裁定変更のうえ「DREAM.2」で再戦することが発表された[15]。
2008年4月29日、「DREAM.2」でJ.Z.カルバンと再戦。1Rにカルバンのパウンドを受けるもバックを奪い、2Rにも再三跳び関節を仕掛け、3-0の判定で勝利。前年の大晦日から続いた因縁に決着をつけた。
2008年6月15日、「DREAM.4」の2回戦で永田克彦と対戦し、マウントからのフットチョークで一本勝ちを収めた。
2008年7月21日、「DREAM.5」のライト級グランプリ準決勝で宇野薫と対戦。終始ペースを握って次々と関節技を仕掛け、宇野の粘りに一本は奪えなかったものの3-0の判定勝ち。決勝ではリザーブから上がってきたヨアキム・ハンセンにパウンドによるTKO負け。準優勝となった。
2008年9月23日、「DREAM.6」ではトッド・ムーアに裸絞めによる一本勝ちを収めた。試合後にマイクを持つと、「僕が大黒柱です」「僕の前に試合をした秋山“マイケル・ジャクソン”成勲先輩!青木真也と大晦日にネバーランドでワオワオしませんか?」と秋山成勲に対戦を要求した[16](秋山の「韓国での自分の人気の高さはマイケル・ジャクソンに匹敵する」という発言への皮肉を込めた挑発である)。
2008年12月31日、3年連続の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~」でライト級グランプリ決勝で対戦するはずであったエディ・アルバレスと対戦し、踵固めで一本勝ち。試合後のマイクでは「UFCよく聞け、日本がトップだコノヤロー!」と絶叫した[17]。この勝利により、初代WAMMA世界ライト級王者に認定された[18]。
2009年3月8日、ウェルター級GPへの参戦を見据えてライト級の体重から増量し、74kg契約で「DREAM.7」でデイビッド・ガードナーと対戦。ガードナーが「ハロージャパン」と発声したスキを突きチョークスリーパーを極め一本勝ちを収めた。試合後のコメントでウェルター級GPへの参戦を表明した。
2009年4月5日、「DREAM.8」のウェルター級グランプリ1回戦で桜井"マッハ"速人と対戦し、開始直後にテイクダウンを奪ったもののバタフライ・スイープで体位の逆転を許し、開始27秒、パウンドによるKO負けを喫した。
2009年4月29日、「DEEP M-1 CHALLENGE 3rd EDITION in JAPAN」でエメリヤーエンコ・ヒョードルとサンボ衣着用・打撃ありのスーパーエキシビションファイトを行なった。お互いに見せ場を作った後、終了間際に青木がヒョードルのアキレス腱固めにタップアウトした[19]。
2009年7月20日、「DREAM.10」でビトー"シャオリン"ヒベイロと対戦。シャオリンとの対戦が決定した際に「(柔術世界王者シャオリン相手に)思いっきり寝技で勝負します!」と宣言していた[20]にもかかわらず、試合では寝技を避けて終始スタンドでのミドルキックや膝蹴りで攻勢となり、判定勝ち。試合後のリング上で「いやー、ムエタイって面白いでしょ?」(友人である藤原あらしの発言のオマージュ)と発言すると、会場からブーイングが起こった。また、試合後の会見では「最初から“判定上等”でした」と発言した。
2009年10月6日、「DREAM.11」のライト級タイトルマッチで3度目となったヨアキム・ハンセンと対戦し、試合終了残り4秒となったところで腕ひしぎ十字固めによる一本勝ち。ライト級王座を獲得し、DREAM初の日本人王者となった。
2009年12月31日、4年連続の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~」の「DREAM vs SRC(戦極)対抗戦」でSRCライト級王者・廣田瑞人との王者対決を戦い、アームロックを極め続けて廣田の右上腕を骨折させ勝利[21]。勝利後のリング上で横になったままの廣田に対し、舌を出しながら中指を立てるファックサインで侮辱し、さらに会場中に向かってファックサインをして観客を侮辱するなど[22]など物議を醸す結末となった(その時セコンド陣から「止めろ!」と即静止させられた)。試合後の記者会見[23]や試合翌日の記者会見[21]でフィニッシュした極め技のことを「笹原圭一プロデューサーから刺しにいけと言われたので刺したので『笹原圭一2010』です」と発言した。廣田を試合後に侮辱したことに関して笹原プロデューサーから厳重注意が与えられたことが発表された[21]。試合翌日の会見で青木は廣田を侮辱したことについて謝罪した。
2010年1月7日、Dynamite!!での試合後の不道徳行為について、パラエストラ東京から厳重注意が与えられ、パラエストラ東京の指導スタッフから解任されたことが発表された[24]。同日に行なわれたSRCの記者会見では、「試合後のインタビュー等においても形式的に謝罪の弁は述べているが、フィニッシュした極め技のことを「笹原さんが『刺しに行け』と言って、しっかり刺してきたので『笹原圭一2010』です」とコメントしたり、廣田選手の腕を「確実に折りにいきました」と述べるなど、誠意と謝意は微塵も感じられない言葉を重ねている。青木自身はもとより、彼をその影響下におき、煽り立て、結果としてかかる振る舞いに至らしめたと推測される関係者に対して心からの猛省を促すと共に然るべき処罰を強く求めます。少なくとも「厳重注意」「反省」といった、お手盛りの言葉とやりとりで許される類いのものでは決してない」と処罰を要求する意見書を発表した[25]。
2010年4月17日、アメリカ合州国テネシー州にて開催された「Strikeforce: Nashville」でケージデビューし、Strikeforce世界ライト級王者ギルバート・メレンデスの王座に挑戦するも、終始圧倒され、18度のテイクダウンを試みるが1度も成功せず寝技でもパウンドを受け続けるなど全くいいところなくフルマークの0-3の判定負け。試合後は、メレンデスの所属チームであるグレイシー・ファイターに弟子入りを申し出、主席コーチであるシーザー・グレイシーより承諾を受けた[26]。
2010年5月21日付けで2006年2月17日から保持していた(2007年2月17日以降、防衛戦を行っていなかった)修斗世界ミドル級王座を返上した[27]。
2010年7月10日、「DREAM.15」のライト級タイトルマッチで川尻達也と対戦し、アキレス腱固めによる一本勝ちを収め王座初防衛に成功した。試合後のリング上で「私事ですが、僕は結婚します!」と結婚することを宣言した[28]。また、この試合ではロングスパッツではなく普通のトランクスを着用し、自身のTwitter上で「スパッツにウダウダ言ってたやつ合掌!」と発言した。
2010年9月25日、「DREAM.16」でマーカス・アウレリオと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。試合前の煽りVTRでは結婚および夫人が妊娠していることが発表された(2011年3月に男児が生まれた)[29]。
2010年12月31日、5年連続の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2010~」で長島☆自演乙☆雄一郎と対戦。試合はミックスルール(1Rが3分の特別キックルール(フリーノックダウン制)、2Rが5分の総合格闘技ルール。2Rで決着がつかない場合は判定なし)で行なわれたが、2R開始直後に青木のタックルに合わせた長島の右跳び膝蹴りでダウンしたところにパウンドで追撃され失神KO負け[30]。この試合では、1Rに明らかに時間稼ぎのクリンチやドロップキックなどで逃げ回り、反則であるロープに掴む行為も行ない、会場からはブーイングが浴びせられており、この試合の解説を行なった須藤元気には「バチが当たった」、魔裟斗には「逃げてちゃ勝てないですよ」と酷評されるなど物議を醸す結果となった。
2011年4月9日、「Strikeforce: Diaz vs. Daley」でライル・ビアボームと対戦し、チョークスリーパーによる一本勝ち。Strikeforce初勝利となった[31]。
2011年5月29日、「DREAM JAPAN GP -2011バンタム級日本トーナメント-」でリッチ・クレメンティと対戦し、フェイスロックによる一本勝ちを収めた[32]。対戦相手選びが難航し、当初対戦予定であったヴィラミー・シケリムはパスポートの期限切れで対戦が流れ、その後アントニオ・マッキーとの対戦が発表されるも[33]、マッキーが膝を負傷し対戦相手が直前で変更された[34]。
2011年9月24日、「DREAM.17」のメインイベントでロブ・マックローと対戦し、裸絞めによる一本勝ちを収めた[35]。
2011年12月31日、6年連続の大晦日興行参戦となった「元気ですか!! 大晦日!! 2011」で行なわれたDREAMライト級タイトルマッチで練習仲間である北岡悟と対戦し、3-0の判定勝ちを収め2度目の王座防衛に成功した[36]。
人物[]
- 寝技に対する拘りは強く、「今の総合格闘技界は打撃偏重だからこそ、俺は寝技に拘る」と語っており、寝技について(暴力性を感じさせる)打撃によるKOが本人の意思とは関係なく起こるのと比べて、関節技や絞め技による一本勝ちは相手に自らの意思でタップさせることにより怪我のリスクを少なく、屈服させることが出来るので芸術的と語っている。しかし、「相手も僕を殺す気で殴りに来るので僕も躊躇なく骨を折りにいく」とも語っており、実際に相手選手を骨折に追い込んだこともある。自身の(総合格闘技における)寝技の技術は世界一でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラよりも自分のほうが上である、という発言もしている。
- 自他共に認める格闘技おたくであり、近代柔道やレスリング、サンボのテクニック解説本を小学校3年生の時から収集しているなど研究熱心である。また、寝技だけでなく、打撃に対してもその研究熱心さは変わらず、マニアックなムエタイ戦士や日本では知名度の低い総合格闘家の名前や試合も数多く覚えており、インタビューなどでも度々その豊富な知識を披露している。打撃は大道塾吉祥寺支部で練習している。
- 物欲が全く無く、テレビもパソコンも無い家賃4万8千円の6畳1Kのアパートに住んでいた。
- 練習を共にしている北岡悟との関係については「尊敬し合える人で、“盟友”という言葉がしっくりくる。仲は良いけど一緒に飯を食べに行ったこともないし、馴れ合ってるわけじゃない。だから戦うことに関しては全く問題ない」とお互いに語っている。
- 雑誌で石川直生と対談して以来、交流を深め、現在では一緒に打撃練習をする間柄である。
- 秋山成勲を激しく嫌っていると見受けられる発言を多くしていたが、「DREAM.15」の青木vs川尻のPV内では「秋さん」と、さんづけで呼んでいる。体重差を無視して秋山に対戦を要求したが拒否された。
- 「DREAMの大黒柱」を自称し、DREAMと日本の格闘技界への愛着を語っている。
戦績[]
総合格闘技[]
総合格闘技 戦績 | ||||||
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37 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
31 勝 | 1 | 19 | 8 | 3 | 0 | 1 |
5 敗 | 3 | 0 | 2 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | 北岡悟 | 5分5R終了 判定3-0 | 元気ですか!! 大晦日!! 2011 【DREAMライト級タイトルマッチ】 |
2011年12月31日 |
○ | ロブ・マックロー | 1R 4:57 裸絞め | DREAM.17 | 2011年9月24日 |
○ | リッチ・クレメンティ | 2R 2:17 フェイスロック | DREAM JAPAN GP -2011バンタム級日本トーナメント- | 2011年5月29日 |
○ | ライル・ビアボーム | 1R 1:33 チョークスリーパー | Strikeforce: Diaz vs. Daley | 2011年4月9日 |
○ | ヨックタイ・シスオー | 1R 1:00 アームロック | DEEP 50 IMPACT ~10年目の奇跡~ | 2010年10月25日 |
○ | マーカス・アウレリオ | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | DREAM.16 | 2010年9月25日 |
○ | 川尻達也 | 1R 1:53 アキレス腱固め | DREAM.15 【DREAMライト級タイトルマッチ】 |
2010年7月10日 |
× | ギルバート・メレンデス | 5分5R終了 判定0-3 | Strikeforce: Nashville 【Strikeforce世界ライト級タイトルマッチ】 |
2010年4月17日 |
○ | 廣田瑞人 | 1R 2:17 アームロック | Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~ 【DREAM vs SRC 対抗戦】 |
2009年12月31日 |
○ | ヨアキム・ハンセン | 2R 4:56 腕ひしぎ十字固め | DREAM.11 フェザー級グランプリ2009 決勝戦 【DREAMライト級タイトルマッチ】 |
2009年10月6日 |
○ | ビトー"シャオリン"ヒベイロ | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | DREAM.10 ウェルター級グランプリ2009 決勝戦 | 2009年7月20日 |
× | 桜井"マッハ"速人 | 1R 0:27 KO(パウンド) | DREAM.8 ウェルター級グランプリ2009 開幕戦 【ウェルター級グランプリ 1回戦】 |
2009年4月5日 |
○ | デイビッド・ガードナー | 1R 5:58 チョークスリーパー | DREAM.7 フェザー級グランプリ2009 開幕戦 | 2009年3月8日 |
○ | エディ・アルバレス | 1R 1:32 ヒールホールド | Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~ | 2008年12月31日 |
○ | トッド・ムーア | 1R 1:10 チョークスリーパー | DREAM.6 ミドル級グランプリ2008 決勝戦 | 2008年9月23日 |
× | ヨアキム・ハンセン | 1R 4:19 TKO(レフェリーストップ:パウンド) | DREAM.5 ライト級グランプリ2008 決勝戦 【ライト級GP 決勝】 |
2008年7月21日 |
○ | 宇野薫 | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | DREAM.5 ライト級グランプリ2008 決勝戦 【ライト級GP 準決勝】 |
2008年7月21日 |
○ | 永田克彦 | 1R 5:12 フットチョーク | DREAM.4 ミドル級グランプリ2008 2nd Round 【ライト級GP 2回戦】 |
2008年6月15日 |
○ | J.Z.カルバン | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | DREAM.2 ミドル級グランプリ2008 開幕戦 【ライト級GP 1回戦(再戦)】 |
2008年4月29日 |
- | J.Z.カルバン | 1R 3:46 ノーコンテスト(偶発的な反則) →没収試合 |
DREAM.1 ライト級グランプリ2008 開幕戦 【ライト級GP 1回戦】 |
2008年3月15日 |
○ | チョン・ブギョン | 2R終了 判定3-0 | やれんのか! 大晦日! 2007 | 2007年12月31日 |
○ | ブライアン・ローアンユー | 1R 1:33 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.34 | 2007年4月8日 |
○ | 菊地昭 | 5分3R終了 判定2-1 | 修斗 BACK TO OUR ROOTS 【世界ミドル級チャンピオンシップ】 |
2007年2月17日 |
○ | ヨアキム・ハンセン | 1R 2:04 フットチョーク | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | 2006年12月31日 |
○ | クレイ・フレンチ | 1R 3:57 三角絞め | PRIDE 武士道 -其の十三- | 2006年11月5日 |
○ | ジョージ・ソテロポロス | 2R 0:05 反則失格(ローブロー) | 修斗 | 2006年10月14日 |
○ | ジェイソン・ブラック | 1R 1:58 三角絞め | PRIDE 武士道 -其の十二- | 2006年8月26日 |
○ | 菊地昭 | 5分3R終了 判定3-0 | 修斗 SHOOTO The Victory of The Truth 【世界ミドル級チャンピオンシップ】 |
2006年2月17日 |
○ | 弘中邦佳 | 1R 2:10 TKO(レフェリーストップ:左眉カット) | 修斗 | 2005年11月6日 |
× | 桜井"マッハ"速人 | 5分3R終了 判定0-3 | 修斗 ALIVE ROAD | 2005年8月20日 |
○ | 岩瀬茂俊 | 1R 0:35 反則失格(ローブロー) | 修斗 | 2005年7月30日 |
○ | キース・ウィスニエフスキー | 1R 2:22 腕ひしぎ脇固め | 修斗 | 2005年1月29日 |
× | 中尾受太郎 | 1R 4:29 KO(左ストレート) | DEEP 16th IMPACT 【DEEPウェルター級トーナメント 準決勝】 |
2004年10月30日 |
○ | 池本誠知 | 2R 0:52 腕ひしぎ十字固め | DEEP 15th IMPACT 【DEEPウェルター級トーナメント 1回戦】 |
2004年7月3日 |
○ | 佐藤隆平 | 不戦勝(棄権) | club DEEP 4th in 西調布格闘技アリーナ 【第2回フューチャーキングトーナメント 82kg以下級 決勝】 |
2003年11月24日 |
○ | 龍保利 | 1R 0:51 腕ひしぎ十字固め | club DEEP 4th in 西調布格闘技アリーナ 【第2回フューチャーキングトーナメント 82kg以下級 準決勝】 |
2003年11月24日 |
○ | 沖村大 | 1R 3:14 腕ひしぎ十字固め | club DEEP 4th in 西調布格闘技アリーナ 【第2回フューチャーキングトーナメント 82kg以下級 1回戦】 |
2003年11月24日 |
ミックスルール[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 長島☆自演乙☆雄一郎 | 2R 0:04 KO(右膝蹴り→パウンド) | Dynamite!! ~勇気のチカラ2010~ 【DREAM特別ルール(1R キックルール/2R DREAMルール)】 |
2010年12月31日 |
グラップリング[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ペドロ・アキーラ | 1R 0:38 チョークスリーパー | DEEP X | 2007年6月17日 |
○ | キャメロン・アール | 足関節技 | ブドーチャレンジ【77kg未満級 決勝】 | 2006年5月26日 |
○ | アリ・アブデルアジズ | 跳びつき腕ひしぎ十字固め | ブドーチャレンジ【77kg未満級 1回戦】 | 2006年5月26日 |
○ | 鶴屋浩 | 2R 1:04 フットチョーク | 修斗【修斗グラップリングマッチ】 | 2006年3月24日 |
× | ホジャー・グレイシー | アキレス腱固め | アブダビコンバット【無差別級 1回戦】 | 2005年5月29日 |
× | マルセロ・ガッシア | チョークスリーパー | アブダビコンバット【77kg未満級 準々決勝】 | 2005年5月28日 |
柔術[]
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | 渡辺直由 | 10分終了 ポイント5-0 | プロ柔術関西「大阪夏の陣」 【アダルト黒帯メジオ級】 |
2005年6月11日 |
○ | 弘中邦佳 | 3:17 跳びつき腕ひしぎ十字固め | COPA reversal 2004 ~FESTA DO JIU-JITSU~ | 2004年11月28日 |
× | 渡辺直由 | 8分終了 ポイント0-8 アドバンテージ1-1 | プロ柔術GroundImpact ~Gi-05~ 昼の部 | 2004年9月19日 |
DVD[]
- 跳関十段 青木真也(2006年3月18日)
- 跳関十段 青木真也 2(2008年2月20日)
- 跳関十段 青木真也 3(2010年3月20日)
脚注[]
- ↑ 1.0 1.1 1.2 【DREAM】5・29新生・青木真也の対戦相手はアントニオ・マッキーに決定! 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年5月15日
- ↑ 第30回全日本サンボ選手権大会 日本サンボ連盟公式サイト
- ↑ [club DEEP] 11.24 調布:長南、グラップリングでも殺気満点 BoutReview 2003年11月27日
- ↑ COPA reversal 2004 ~FESTA DO JIU-JITSU~ スーパーファイト スポーツナビ 2004年11月28日
- ↑ [修斗] 1.29 後楽園:朴、初代環太平洋ウェルター級王者に BoutReview 2005年1月29日
- ↑ クラスA昇格 SHOOTO GAZETTE 2005年2月7日
- ↑ [修斗] 5.4 後楽園:青木欠場。中井×ルミナの組技スペシャル戦決定 BoutReview 2005年4月28日
- ↑ [プロ柔術関西] 6.11 大阪:青木、早川に対戦要求 BoutReview 2005年6月11日
- ↑ [修斗] 7.30 後楽園:秋本×大石の元K'z同門対決決定。全カード揃う BoutReview 2005年7月30日
- ↑ 【修斗】戸井田が大逆転の一本勝ちをするも、石川はバッティングを主張 格闘技ウェブマガジンGBR 2005年7月30日
- ↑ [修斗] 2.17 代々木:川尻反則防衛。青木&石田が王者に BoutReview 2006年2月24日
- ↑ [PRIDE武士道] 8.26 名古屋:三崎&郷野4強に。五味快勝 BoutReview 2006年8月28日
- ↑ [PRIDE] 11.5 横アリ:五味僅差防衛。三崎敗者復活優勝 BoutReview 2006年11月9日
- ↑ [DREAM] 3.15 埼玉:カルバンの反則で青木戦は無効に BoutReview 2008年3月15日
- ↑ 【ドリーム】4・29カルバンとの決着戦が決まった青木「言いたいことは腐るほどある」 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年4月4日
- ↑ 【DREAM】秋山が吉田秀彦に、青木はその秋山に挑戦状!ミドル級GPはムサシ優勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年9月23日
- ↑ 【Dynamite!!】12・31波乱続出の大晦日、桜庭が田村に判定負け!ハリ、キン肉マンも敗れる 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年12月31日
- ↑ SHINYA AOKI BECOMES FIRST-EVER WAMMA LIGHTWEIGHT CHAMPION! WAMMA公式サイト 2008年12月31日
- ↑ [M-1グローバル] ヒョードル×青木エキシは大盛り上がり BoutReview 2009年4月29日
- ↑ 『DREAM.10』追加3カード発表!!青木真也、菊野克紀が『DREAM.9』で意気込みをコメント!! DREAM公式サイト 2009年5月26日
- ↑ 21.0 21.1 21.2 青木vs廣田の見解、『DREAM.13』について笹原EPが言及!『FieLDS Dynamite!!~勇気のチカラ2009~』一夜明け会見 DREAM公式サイト 2010年1月1日
- ↑ 【Dynamite!!】魔裟斗が引退試合で激勝! 石井慧は判定負け、対抗戦はDREAM勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年12月31日
- ↑ FieLDS Dynamite!! -勇気のチカラ 2009-:第16試合 K-1公式サイト 2009年12月31日
- ↑ 2009年大晦日の青木真也の不道徳行為について パラエストラ東京 公式サイト 2010年1月7日
- ↑ 日本格闘競技連盟及び『戦極』サイドが青木と関係者に対して処罰を要求!! kamipro 2010年1月7日
- ↑ Shinya Aoki to train with Cesar Gracie Jiu-Jitsu Bloody Elbow 2010年4月23日
- ↑ 青木真也、世界ミドル級王座を返上 SHOOTO NEWS 2010年5月21日
- ↑ 【DREAM】川尻とのエース対決制した青木真也がリング上で結婚宣言! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月10日
- ↑ 【DREAM】石井慧が国内初勝利、桜庭和志は生涯初の一本負け! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月25日
- ↑ 【Dynamite!!】 高谷が王座奪取!長島☆自演乙が青木をKO!石井はバンナに辛勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月31日
- ↑ 【Strikeforce】青木が秒殺で北米へのリベンジ成功 MMAPLANET 2011年4月10日
- ↑ 【DREAM】バンタム級トーナメントは所英男と今成正和が決勝へ!青木真也は一本勝ち 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年5月29日
- ↑ 【DREAM】5・29新生・青木真也の対戦相手はアントニオ・マッキーに決定! 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年5月15日
- ↑ 【DREAM】5・29青木真也の相手が変更、リッチ・クレメンティと対戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年5月20日
- ↑ 【DREAM】青木真也&川尻達也が一本勝ち!桜庭和志は一本負け、所英男が1回戦敗退 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年9月24日
- ↑ 【元気ですか!!】第4部:ヒョードルが年越し寸前に石井をKO!青木、高谷は防衛 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年12月31日
関連項目[]
- 修斗世界王者一覧
- ニッポン・トップチーム
外部リンク[]
- 青木真也のブログ
- a_ok_i - Twitter
- DREAM 選手データ
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- SHERDOG 選手データ
前王者 菊地昭 |
第8代修斗世界ミドル級王者 2006年2月17日 - 2010年5月21日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ルイス"ベイサォン"ハモス |
初代 |
初代WAMMA世界ライト級王者 2008年12月31日 - 現在 |
次王者 |
前王者 ヨアキム・ハンセン |
第2代DREAMライト級王者 2009年10月6日 - 現在 |
次王者 |
Wikipedia[]
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